古代史考察-1.岡山の尾張氏 その2

考察② 「考察①う」の続きです。

鳥取からか奈良からか滋賀からか、もしくは最初から独自の伊福部氏が岡山に存在したか、その辺は全く不明ながら伊福部の一族が、同じ系統の尾張氏の祖先神を奉斎したのかもしれません。

尾治針名眞若比咩神社の祭神が尾綱真若刀婢とすれば、この人は五百木入彦皇子(景行天皇皇子)の妃で、伊福部(五百木部)は五百木入彦皇子の御名代であった可能性もあり、それで尾綱真若刀婢が奉斎されたのかも?と推測はできます。さらに尾綱真若刀婢を奉斎するなら、尾綱根命も奉斎しようよ!となったと考えられなくはありません。

(参考)

トベ - Wikipedia

 

もしこの仮定が成り立つとすれば、私の頭はとてもスッキリします。

ただしこの仮定に対する疑問もあります。

日本のあちこちに伊福部氏が存在した痕跡がありますが、なぜ岡山に居た伊福部氏だけが、「尾綱真若刀婢・尾綱根命」を奉斎したのか?です。

私が不勉強なだけかもですが、寡聞にして「尾綱真若刀婢」を祀った神社の存在を知りません。(尾綱根命は針綱神社等で祀られてますが)

何か岡山の伊福部氏だけが持つ「尾綱真若刀婢」に対する特別な思い入れがあったのでしょうか?

 

ここに私は、ロマンを感じます。

「尾綱真若刀婢」もしくは彼女の存在に類似するような女性が古代の岡山で活躍したのでは?と。

尾張氏系図を信じれば、時代は4世紀後半。応神天皇が頭角を現し始めた頃のはずです。

(後の記事で書くと思いますが、応神天皇神功皇后の子ではなく、皇族ながら、それまでの天皇系統とは別の系統で、播磨あたりで生まれ育った人だと考えてます)