sohramame’s 「吉備の古代を想う」吉備氏・尾張氏

岡山(吉備)の古代史についてですが、上古代日本史全般についても書いてます

2017-08-01から1ヶ月間の記事一覧

遺跡訪問-8.金蔵山古墳

彦五十狭芹彦命(兄・吉備津彦)の孫であり、倭健命の東征に随行した、吉備武彦命の陵墓と思われる金蔵山古墳を訪問しました。 こちらは操山ハイキング(トレッキング?)コースの中にあり、そんなに重要な見学ポイントの扱いは受けていないものの、しっかり…

遺跡訪問-7.湊茶臼山古墳、網浜茶臼山古墳と操山109号墳

既出記事で彦五十狭芹彦命(兄・吉備津彦)の子、日子刺肩別命の墓ではないかと書いた湊茶臼山古墳(125m)。そして近くにあるちょっと気になる網浜茶臼山古墳(92m)と操山109号墳(74m)を見てきました。 湊茶臼山古墳は、操山というか東山の南側、古代…

遺跡訪問-6.浦間茶臼山古墳 と竜王宮神社

(H30.3再訪→下に記事あり) 備前ではこの時期としては最大(推定全長138m)で最古形式(4C初)の前方後円墳、箸墓古墳の1/2の規格で造られてる、とすれば崇神天皇朝四道将軍・彦五十狭芹彦命(兄・吉備津彦)の墓でしか無いでしょう。と宝賀寿男先生も私も思っ…

吉備の古代史-11 上道氏関係の補足

兄・彦五十狭芹彦命とその直系の子孫の廟は皆前方後円墳です。 しかし同時期と考えられている吉備の古墳には前方後方墳も少なからずあります。 前方後円墳は皇族に近い氏族、吉備で言えば兄・彦五十狭芹彦命の上道氏、弟・彦狭島命の下道氏の直系は前方後円…

吉備の古代史-10 吉備氏と吉備津・吉備津彦神社

現在は、 備中一宮・吉備津神社の主祭神・・・大吉備津彦大神 備前一宮・吉備津彦神社の御祭神・・・大吉備津彦命 となってます吉備の神々。(備後は省きます。ご容赦) 先の記事でも書きましたが御友別命以降、吉備氏の本宗は下道氏となり、 兄・弟の2系統…

吉備の古代史-9 弟・下道系統

御友別命の子が稲速別命で、この2代が応神朝・仁徳朝の時代に当たると思われます。先に記しますが稲速別命の廟が作山古墳となり、御友別命・稲速別命のこの2代が吉備最大古墳の被葬者であろうと思われます。両古墳とも後円部主体部の調査がなされていない…