sohramame’s 「吉備の古代を想う」吉備氏・尾張氏

岡山(吉備)の古代史についてですが、上古代日本史全般についても書いてます

2017-07-01から1ヶ月間の記事一覧

吉備の古代史-8 弟・下道系統

御鋤友耳命の子に御友別命が居ました。 ※御友別命は吉備武彦命の子ではありません。 御友別命は今の足守地域であろう葉田葦守宮に住んでいました。 成人した頃に後の応神天皇となるホムタワケ命と出会いました。 ホムタワケ命は大和王国の領土を視察するため…

吉備の古代史-7 弟・下道系統

弟・吉備津彦(彦狭島命)は吉備進攻後、出雲進攻にも出向いたかどうかは確かなところは不明ですが、恐らく拝領した下道(主に備中)に居住し、温羅を信奉していた地元民に対する支配を充実させていたのだと思います。 下道も同様に、この頃にこの地域がそう…

吉備の古代史-6 兄・上道系統

吉備武彦命の子孫は浦凝別(神宮寺山古墳)、葦守武彦命(玉井丸山古墳)と続きますが、3代孫の田狭臣の時に大和王国・雄略天皇から手痛い仕打ちを受けてしまいます。 追記:玉井丸山古墳、両宮山古墳を実見して考えが変わりました。玉井丸山古墳は田狭臣の…

吉備の古代史-5 兄・上道系統

兄・吉備津彦(彦五十狭芹彦命)は出雲進攻完了後、吉備に戻り上道(備前)を拝領した支配地として居住します。 ただ、この頃にこの地域が吉備とか上道とかと呼ばれたかは、今となっては分かりません。数百年後の記紀やその他の資料に載ってるから我々はそう…