私の古代史観
大層なタイトルですが、私の歴史(古代史)認識は、宝賀寿男先生の理論に基づいてます。というか、宝賀先生の考えそのままだと思います。ほぼ全面的に賛同してます。(細かい部分では異論はありますが)
・神武~仁徳天皇の年代は、4倍年歴(現在の1年が4年に相当)である。
・応神天皇以前の天皇はほぼ直系相続となっているが、実際は傍系相続がかなりある。(皇室の系図にはかなり事実と異なる部分がある)
というのが主な理論です。
で私の考え・歴史観もほぼこれに沿って構築されてますので、
これから展開していく話をみて、「何言ってんだ、お前?」的な部分もかなりあろうかと思います。
その辺をご理解いただいて、読んでいただければと思います。
なお、宝賀先生の理論が展開されている書物を紹介しておきます。
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今週のお題「2017年にやりたいこと」
2017年は私の人生再スタートの年なので、
(私の気持ちの再スタート)
このブログを記事を充実して、岡山の古代史研究の足掛かりにし、
趣味であり、今後の人生で全力を傾けるつもりの、岡山だけでなく日本の古代の歴史を、自分なりに体系建てていきたいと考えてます。
日本史的な面を具体的に言えば、
・最初の王権「大和朝廷」がどのように出来上がったのか
・応神天皇はどうやって政権をとったのか
(ちなみに卑弥呼の邪馬台国は初期大和王権が出来上がる少し前くらいに北九州にあった地方連合王国、という認識なので特に関心はないです)
岡山については、特に応神天皇以降の歴史を明らかにしていきたい
・応神天皇は岡山とつながりがあったのか
・雄略天皇を中心とした吉備への弾圧はなぜ行われたか
・継体朝以降の岡山(吉備)の活躍氏族、特に和気氏
などを自分なりに解決していきたいと思っているのですよ(笑)
ただいかんせん資料が少ない。特に岡山に関するものは。
紀・記に断片的に載る資料がほとんどで、それ以外は発掘資料からの類推、寺社の資材帳、系図資料くらい。
吉備風土記なんかが現存してたら、どれほどありがたいか、と思います。
取り留めなく書いてきましたが、こんなことを考えながら、このブログの記事を作っていきたいと思ってます。
今夜はこの辺で。
岡山の古代史を探求する
人生折り返し点も過ぎ、峠を下り始めたこの頃、
これからの余生をどう生きていくべきかを考えたとき、
「そうだ、自分が住んで知るところ(歴史)をもっと知ろう!」
と思いました。
しかも、江戸時代の池田藩のことや、戦国期の宇喜多家のことではなく、古代~中世の岡山の歴史を知ってみたくなったんです。
きっかけは、私が生活するエリアに古墳や平安時代頃から存在する神社があると知ってそれらに興味を持ったからです。
調べてみれば岡山市(周辺地域も含めて)には数多くの古墳があって、また縄文・弥生時代から平安時代の遺跡・遺構、神社・寺などが結構あるんですよ。
これまで、そういうものをあまり意識しないで生活してきたので、ちょっと目から鱗でした。
このブログでは、古墳・遺跡・遺構・神社仏閣について調べたこと(主に図書館で)を、とりとめなく記事にしながら、私が想像する古代の岡山について、色々と語っていきたいと思います。
ま、気が向いたときに書き込んでいきますので、ある程度たまるまでは何をしたいのかわからないブログになると思いますので、その辺ご理解ください。