sohramame’s 「吉備の古代を想う」吉備氏・尾張氏

岡山(吉備)の古代史についてですが、上古代日本史全般についても書いてます

クニクル(孝元天皇)のお話

第8代孝元天皇のお話です。クニオシの子で、第9代開化天皇の父です。会話・心情は創作ですが設定・背景は事実だと考えてます。


#クニクル 1
フトニの弟の名は、クニクル
父はクニオシなので
磯城一族の母、細(クワシ)姫が
名付けたのだろう
クニクルはフトニとは母が違うので
別々の地で育ち
大人になって次王の候補になるまでは
会うことが無かった
初めて会ったときは
王として眩しすぎて
兄とは思えなかった
憧れた

#クニクル 2
クニクルは母に溺愛されて育ったので
進取果敢な性質に欠けていた
おっとり、のんびり、ゆるーく生きたい性格だったので
王の仕事にはあまり興味がなかった
とは言え
何もしないわけには行かないので
兄の死後
宮を
安定と平和に満たされた
イワレヒコの白橿宮に近い
軽境原に造った

※先王は前衛的に北に宮を構えましたが、孝元天皇はまた南に戻して宮を構えました。

#クニクル 3
クニクルは実は兄が長期政権だったので
王に就いたのは30歳の年だった
妃は18歳の時にもらったので
後に四道将軍となるオオヒコや
後の王オト(オオヒヒ)が立派に育っていた
ただし妃は
母の細姫の代で磯城の直系男子は途絶えたので
磯城に代わって発言権を増した
穂積一族から受け入れた

※穂積一族は物部氏族と血統的に同族です。イワレヒコの勝利に貢献したウマシマジの子孫です。

#クニクル 4
クニクルは安全な宮に居て
外征や国内巡視はあまりしなかったので
戦争や外交は
吉備津彦や彦坐命の父たちに任せきりだった
王を裏切る訳では無いが
自分たちの領地的なものを造って
そこを拠点に着実に王国を広げていった
先王フトニへの忠誠は厚かったが
クニクルへの忠誠心は少なかった

※おさらいの意味で
カエシネ(孝安天皇)-イズキヒコ-イササワケ-吉備津彦命
カエシネ(孝安天皇)-イズキヒコ-ハズラワケ-彦坐命

#クニクル 5
クニクルは王に就いて7年ほど後
さらに妃を迎えた
イササワケが先年服従させた
河内の豪族の娘だった
一族や河内の民に慕われ
その地の神を祀る巫女的な女だった
その人の間に生まれた子は
ハニヤスと言った
愛にいきるクニクルは
先の妃の子も可愛かったが
ハニヤスもとても溺愛した

ハニヤスヒコは後のイニエの時代にとんでもない出来事を起こします。

#クニクル 6
クニクルは母が磯城一族だけあって
三輪の神が好きだった
時間があれば三輪山に登っていた
しかしクニクルの妃や息子は
磯城とは関係なく
それらの人々は三輪の神に関心がなかった
ヤマト国自体は
どんどん大きく成長していく時期で
好景気だったので
だんだん三輪の神は忘れられていった

※神と王と巫女、これからヤマト国に暗い影を落とすことになります。

#クニクル 7
クニクルは30歳で即位して
14年ほど王を務めたが
この頃の寿命で43歳で薨った
その時、下のハニヤスはまだ小さかったが
上のオオヒコ、オトは十分王になれる年齢だった
しかしオオヒコは頭を使うより
外征で力を発揮したいタイプ
どちらが王になっても良いかな
とクニクルは思っていた

#クニクル 8
クニクルの陵は
円墳に四角い祭壇が付いたものだった
そう、先王フトニと同じ形のもの
フトニの陵・葬祭を見て感激して
自分の時も同じにして欲しい
と宮臣に頼んでおいた
息子たちも自分の陵・葬祭を見て
同じものを造りたい
と思うことも期待して…
オオヒコもオトもじっと見ていた

※クニクルも同じ形の前方後円墳に葬られてると考えてます

#クニクル 9
クニクルが薨と次の王は…
と宮臣は噂し合った
順当には長男オオヒコであったが
葬祭の場で
オオヒコの傍に立ちそっと呟く人がいた
貴方は王になると
磯城にかかる呪いで
子はできず
跡を継ぐ者がいなくなります
弟に王を譲りなさいませ
それで王家は安泰です、と
それはモモソ姫だった

#クニクル 10
兄オオヒコはモモソ姫の話に
半信半疑だったが
磯城の血云々はそうかも?と思った
では弟が継げば問題ないか?
という最後の疑問は残ったが
そこはなぜかモモソ姫の
目と笑顔を信じてしまった
結果
兄オオヒコは王を継がず
弟オトに
お前が王に相応しいと説得し
王の継承に決着をつけた

※オオヒヒ(開化天皇)の話に続きます