遺跡訪問-14.一本松古墳

上道氏巡礼の締めをした後ですが、私が上道氏の葦守武彦命(浦凝別命の子、田狭臣の祖父)と考えている一本松古墳を訪問しました。

この古墳は、半田山植物園の中にあって植物園に入場しないとみることができません。
※1回入場料約¥300、年間パスポート約¥1,200
私は年間パスポート持ってるので、ササっと入れました。

植物園自体は盛花の時期でもなく、紅葉には少し早い感じで特段見るものは無かったのですが、マリーゴールドやバラが綺麗でした。

で古墳の方ですが、見るのにお金はかかりますが、近いし、植物園としてよく整備されてる土地だし、今回はヒジョーに楽に見られました。墳形も分かりやすいですし。(ただし全景を写真に収めるのは無理ですね)

後円部頂は高射砲陣地を築かれたため穴が開いていて主体の石棺も石槨もほぼありません。(発掘品は東京にあるようです)ササっと古墳の周りを歩いて、写真撮ってハイ、終わりって感じです。前方部あたりから岡山市街がちらっと見下ろせるポイントがありますが、風景はやや下にある展望台からの方がくっきり見渡せます。

 

で、こちらの古墳は5C中期頃かと考えられており、神宮寺山古墳の後で、玉井丸山古墳・両宮山古墳よりは先ではないかと考えます。
上道氏の系図としては、冒頭に書いた感じで推測しています。

最初、この古墳は上道氏本宗ではなく、例えば傍系の三野臣氏や笠臣氏の陵墓かも知れないな、と考え上道氏古墳巡礼から外すつもりでいました。そう考えたのは、
①ほぼ平地に神宮寺山古墳を築いた後に、なぜ丘陵に逆戻りして造墓したのか?上道氏本宗の陵墓とすれば解せない。
②古墳の形が、造山古墳の周囲にある古墳と似通っている。
③葺石や埴輪があったと認められていない。
という点からでした。
しかし、玉井丸山古墳、両宮山古墳を実見して考えが変わり、本古墳が葦守武彦命の陵墓と考えれば、①②についてはさして違和感が無くなるように思いました。だって葦守武彦命って下道氏系統っぽい名前じゃないですか?ちょうど仁徳天皇の時世で御友別命-稲速別が下道氏当主だった頃で、下道氏が吉備の主流でそれに従ったのかもしれないな、と思ったわけです。ただ③については今でも理由は全く分かりません。造墓時から無かったのか、後世に取り払われたのか、謎です。それと、平地に築かれなかったのは、後代(稲生臣、田狭臣)が赤坂平野に本拠を移していったことと同じで、例えば上道平野に災害が起きたとかが理由なのかもしれません。
副葬品に鉄器が多いのは、同じ半田山の西側に居たであろう尾張系氏族(たぶん伊福部氏)と親交が深かったのでは?と思っています。

てなわけで、一本松古墳の訪問を終え、上道氏の巡礼も一旦終えて、次からは下道氏の巡礼を始めたいと思います。
まずは、弟・吉備津彦彦狭島命の中山茶臼山古墳から!

(前方部から後円部方向)

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(後円部頂、高射砲陣地跡)

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一本松古墳:岡山シティミュージアムHP