遺跡訪問-2.都月坂古墳群
半田山と烏山の間、七つグロ古墳群の東側にあります。
(といっても何の仕切りも看板もありません)
1号墳は正に稜線上にある前方後方墳。4世紀第1四半期(301-325)の頃の墓らしいです。竪穴式石室の底には朱が認められ、発掘された特殊器台や特殊壺には丹が塗られていたそう。
この時期のこの地域の王の墓だったのでしょう。
この古墳群は言わずと知れた「特殊器台型埴輪」「特殊壺形埴輪」が発掘され(弥生墳丘墓とされる2号墳のものが有名なのかも)都月型特殊器台とか特殊壺と呼ばれるほど考古学的には有名なところらしいです。
前の記事にも書きましたが七つグロ1号墳よりやや後の墳墓という見解が多く、七つグロ古墳の王と同系統か親戚の関係だったのでは?と推測されていました。(出典忘れました)
箸墓古墳と同時期とされる浦間茶臼山古墳(岡山市平島の東)の王が東岡山界隈を縄張りとしていた頃、この津島・伊福界隈は七つグロ・都月坂の王が支配していたんでしょうね。
ちなみに百間川あたりは湊茶臼山古墳の王が、高島・四御神あたりは備前車塚古墳の王が支配していたようです。
七つグロや都月坂の王が尾張氏や伊福部氏に繋がる部族であればうれしいですが、そのような何等の証拠もありません。
今の岡山に住んでる人たちに繋がるご先祖様だったのか、もうほかの土地に移ってしまった人たちなのか、あるいは既に絶えてしまった人たちだったのか興味は尽きないところです。
(参考)