Twitterで毎日140字で、原ヤマト王国の王(神武~崇神)のお話を呟いてます。 宝賀先生の古代史論をベースに、少し脚色を加えて物語風に作文してます。 記紀とは違う内容もありますが、これが真実の歴史だ!と思っています。 良ければ読んでみてください…
第10代崇神天皇のお話で、四道将軍の活躍のパートです。ただし全てを書くと長くなるので、キビツヒコだけを記載してます。 フトニ(孝霊天皇)の子で、第9代開化天皇とは従弟の関係です。イニエ(五十瓊殖)の「ニ」はフトニの「ニ」と同じ。「瓊」(たま、…
第10代崇神天皇のお話で、ハニヤスヒコの反乱のパートです。フトニ(孝霊天皇)の子で、第9代開化天皇とは従弟の関係です。イニエ(五十瓊殖)の「ニ」はフトニの「ニ」と同じ。「瓊」(たま、硬玉、ヒスイ)の意味です。会話・心情は創作ですが設定・背景は…
第10代崇神天皇のお話で、宮の神々のパートです。フトニ(孝霊天皇)の子で、第9代開化天皇とは従弟の関係です。イニエ(五十瓊殖)の「ニ」はフトニの「ニ」と同じ。「瓊」(たま、硬玉、ヒスイ)の意味です。会話・心情は創作ですが設定・背景は事実だと考…
第9代開化天皇のお話です。クニクルの子で、第10代崇神天皇とは従弟の関係です。オオヒヒは大日日と表わされます(動物のヒヒではありません)。 会話・心情は創作ですが設定・背景は事実だと考えてます。#オオヒヒ 1 オオヒコの弟は王に就いた オトという名…
第8代孝元天皇のお話です。クニオシの子で、第9代開化天皇の父です。会話・心情は創作ですが設定・背景は事実だと考えてます。 #クニクル 1 フトニの弟の名は、クニクル 父はクニオシなので 磯城一族の母、細(クワシ)姫が 名付けたのだろう クニクルはフト…
第7代孝霊天皇のお話です。クニオシの子で、第10代イニエ(崇神天皇)の父です。記紀の記述と違いでしょう?これが真実の歴史です。会話・心情は創作ですが設定・背景は事実だと考えてます。#フトニ 1 フトニはクニオシの子、長男 磯城の妃から生まれた子で…
@kmichi13 2018年9月22日 第6代孝昭天皇のお話です。スキトモの子で、大人になるまでカエシネが代行の王を務め、成人後王になった人です。記紀の記述と比べて、孝安天皇と孝昭天皇の順序、和風諡号は入れ替わってます。会話・心情は創作ですが設定・背景は事…
第5代孝安天皇のお話です。(間違いではありません) スキトモの子が幼少のため代行で磯城一族から王になった人です。代行と言っても後世には直系の王にされてますが…記紀の記述と比べて、孝安天皇と孝昭天皇の順序、和風諡号は入れ替わってます。 会話・心…
第4代懿徳天皇のお話です。イワレヒコの孫ですが、父親はxxxなのです。会話・心情は創作ですが設定・背景は事実だと考えてます。 ちなみに懿徳=美徳の意です。#スキトモ 1 兄オキソミミは政治に、王になることに 全く関心を示さなかった イワレヒコ王国では…
第3代安寧天皇のお話です。イワレヒコの子であり、ヌカワミミ(綏靖天皇)の異母弟です。会話・心情は創作ですが設定・背景は事実だと考えてます。#タマテミ 1 母イスズヨリ姫は姉のイスズ姫と ほぼ同時にイワレヒコの妃となり ほぼ同時に懐妊した なのでタ…
本当は次はタギシミミの執政が入りますが、次代天皇のヌ(ナ)カワミミ(綏靖天皇)のお話です。会話・心情は創作ですが設定・背景は事実だと考えてます。#ヌカワミミ 1 (記紀ではヌナカワミミですがお話の中ではヌカワミミです) イワレヒコ(神武天皇)を継いだ…
東征完了後は、イワレヒコ王国=初期大和王国の物語に移っていきます。#イワレヒコ 61 丘の上で剣をかざすと何が起きる? イワレヒコは怪訝に思ったが ゆっくり考えてる暇はない もう運を天に任す! と腹をくくり、自軍が左展開するのを見ながら 周りから良…
おさらいです。出発地は筑紫・伊都国(糸島市)、難波から紀伊水門を経由し、紀ノ川遡上~吉野~宇陀~橿原が正しい東征のルートと考えています。#イワレヒコ 41 イワレヒコ一行は早速近くの高倉山に登り 中洲の方向を見渡した オトウカシの情報通りあちこち…
イズセ(五瀬命)の死後、イワレヒコ一行は紀の川河口から遡上し、吉野~宇陀へのルートを進みます。#イワレヒコ 21 名草邑のナグサヒメは静かに現れたイワレヒコ一行を追い払うべく 一斉に弓を射かけてきた イワレヒコは最初から 矢を受ける囮隊と敵の背後…
イワレヒコ(神武天皇)が東征を始める前の舞台(状況)です。創作ではなく、これが真実の歴史!と思って書いてます。#イワレヒコ 0-1 紀元2世紀(AD100前後)原始邪馬台国は 高天原(久留米市高良山付近)に都を構え(卑弥呼の150年ほど前) 栄えていたが そ…
Twitterで呟いてるイワレヒコの物語風東征説話をこちらに転載します。#イワレヒコ① 20歳を過ぎたばかりのイワレヒコは伊都から玄界灘を見渡しながら この国では王にはなれないので東に新天地を求めに出立する 兄のイズセノミコトに向かって言った 「兄ちゃん…
吉備氏に纏わる(と私が考える)前方後円墳・前方後方墳・円墳は全て訪問しましたので表にまとめてみました。1.兄・吉備津彦(上道氏)系統 NO 形態 古墳名 推定被葬者 世代 全長 造墳時期 01 方円 浦間茶臼山古墳 五十芹彦命 初代 140m 4C前半 02 方円 湊…
今回は、古墳では無く古代山城跡、鬼ノ城に訪問しました。(鬼ノ城・鬼城山どちらでも間違いないと思いますが、この記事では鬼ノ城に統一しておきます) なぜ鬼ノ城かというと、吉備氏(上道氏・下道氏)の古墳訪問を完了して締めくくりとして、吉備氏が最初…
最上稲荷ならびに奥の院は神社っぽい場所ではないですが(神仏習合なので)神社訪問とさせてください。鳥居も沢山あるし。しかし、最上稲荷も一乗寺も目的地ではありません。私の目的はひたすら竜王山。といっても竜王山は一乗寺の境内の中にあり、八大竜王…
吉備氏(上道氏、下道氏)の前方後円墳訪問は完了したので、神社他の遺跡訪問に移っていきます。 今回は、葦守八幡宮および葉田葦守宮跡に訪問しました。説明は不要かとは思いますが足守にあります。なぜここかと言いますと、私、応神天皇が大変気になってお…
下道氏陵墓訪問の締めとして、宿寺山古墳とこうもり塚古墳に訪問しました。宿寺山古墳は昔の山陽道沿いの南側に位置します。町中にあるので古墳はすぐ見つかります。ただし往時の面影はありません。木々がいっぱい生えたこんもりした丘、としか見えません。…
行ってきました小造山古墳。行くまでは場所がわからず、捜索難航は必至!と不安いっぱいの出発だったのですが、事前に偉大な先人のNETの教えを見たので、工業団地から入ってすぐに見つけることができました。ただ、場所はすぐに分かったんですが、墳丘(後円…
「さくざん」古墳行って参りました。ここも、今までの古墳と比べられないくらい立派な陵墓です。ただ造山古墳の後だと、やはり見劣りはしますね。後円部が(真円ではなく)やや楕円に近いとこや、前方部付近に丘陵が残っている所とかも含めまして。現在は周…
いよいよ最大の見どころ「造山古墳」(私は昔からの癖でぞうざんと呼んでいます。作山はさくざん)訪問しました。吉備一と言われるだけあって「でかい!」。今までの古墳と比べてもかなりデカい!きちんと整備されていて形がはっきりわかるから、という理由…
小盛山古墳は、佐古田堂山古墳の500m北側にあります。つくり山団地北の田んぼの中にあるこんもりした円墳です。案内板もありませんし、どこから墳丘に行けるのか全く分からず、たまたまいた地元の方に聞いてみたら、北側から行ける道があるようでした。なる…
佐古田堂山古墳は高松稲荷の大鳥居をくぐって1km程北上すると、右手(東側)に見えてきます。そしてこの古墳はなんと!(ネットで事前に知ってはいたけど実際見ると改めて)驚くことに前方部が高松農業高校の実習果樹園なのでした~!ビツクリ。これってアリ…
弟・吉備津彦系統2代目(つまり息子)が被葬者と思われる尾上車山古墳は、中山茶臼山古墳と同じ中山山塊ですが、東南端のギリギリ山と呼ばれる尾根上にあります。黒住教に至る車道からも前方部が何となく伺えるのですが、その車道から古墳に至る山道がありま…
中山茶臼山古墳から南方向に足を伸ばすと矢藤治山古墳を訪れることができます。穴観音~八徳寺~三十三観音像を通り抜け、車道に出て少し行くと黒住教の駐車場(道の南側)があり、そこに小さく案内板があってそこから山道に入り、帝釈天方向との分岐を左に…
いよいよ下道氏の巡礼に入りました。まずは、下道氏初代の彦狭島命(稚武吉備津彦命、以降弟・吉備津彦と呼びます)の陵墓、中山茶臼山古墳からスタートです。この古墳は吉備津神社の真上にある感じなんですが、ちょっと話はそれますが、吉備津神社の祭神は…