イワレヒコ-神武東征 第1部「船出-手痛い敗退」

Twitterで呟いてるイワレヒコの物語風東征説話をこちらに転載します。#イワレヒコ① 20歳を過ぎたばかりのイワレヒコは伊都から玄界灘を見渡しながら この国では王にはなれないので東に新天地を求めに出立する 兄のイズセノミコトに向かって言った 「兄ちゃん…

古代史考察-2吉備氏外観 前方後円墳・前方後方墳・円墳まとめ

吉備氏に纏わる(と私が考える)前方後円墳・前方後方墳・円墳は全て訪問しましたので表にまとめてみました。1.兄・吉備津彦(上道氏)系統 NO 形態 古墳名 推定被葬者 世代 全長 造墳時期 01 方円 浦間茶臼山古墳 五十芹彦命 初代 140m 4C前半 02 方円 湊…

遺跡訪問-24.鬼ノ城(鬼城山)

今回は、古墳では無く古代山城跡、鬼ノ城に訪問しました。(鬼ノ城・鬼城山どちらでも間違いないと思いますが、この記事では鬼ノ城に統一しておきます) なぜ鬼ノ城かというと、吉備氏(上道氏・下道氏)の古墳訪問を完了して締めくくりとして、吉備氏が最初…

神社訪問-5.高松最上稲荷奥の院、竜王山一乗寺

最上稲荷ならびに奥の院は神社っぽい場所ではないですが(神仏習合なので)神社訪問とさせてください。鳥居も沢山あるし。しかし、最上稲荷も一乗寺も目的地ではありません。私の目的はひたすら竜王山。といっても竜王山は一乗寺の境内の中にあり、八大竜王…

神社訪問-4.葦守八幡宮、葉田葦守宮跡

吉備氏(上道氏、下道氏)の前方後円墳訪問は完了したので、神社他の遺跡訪問に移っていきます。 今回は、葦守八幡宮および葉田葦守宮跡に訪問しました。説明は不要かとは思いますが足守にあります。なぜここかと言いますと、私、応神天皇が大変気になってお…

遺跡訪問-23.宿寺山古墳とこうもり塚古墳

下道氏陵墓訪問の締めとして、宿寺山古墳とこうもり塚古墳に訪問しました。宿寺山古墳は昔の山陽道沿いの南側に位置します。町中にあるので古墳はすぐ見つかります。ただし往時の面影はありません。木々がいっぱい生えたこんもりした丘、としか見えません。…

遺跡訪問-22.小造山古墳

行ってきました小造山古墳。行くまでは場所がわからず、捜索難航は必至!と不安いっぱいの出発だったのですが、事前に偉大な先人のNETの教えを見たので、工業団地から入ってすぐに見つけることができました。ただ、場所はすぐに分かったんですが、墳丘(後円…

遺跡訪問-21.作山古墳

「さくざん」古墳行って参りました。ここも、今までの古墳と比べられないくらい立派な陵墓です。ただ造山古墳の後だと、やはり見劣りはしますね。後円部が(真円ではなく)やや楕円に近いとこや、前方部付近に丘陵が残っている所とかも含めまして。現在は周…

遺跡訪問-20.造山古墳

いよいよ最大の見どころ「造山古墳」(私は昔からの癖でぞうざんと呼んでいます。作山はさくざん)訪問しました。吉備一と言われるだけあって「でかい!」。今までの古墳と比べてもかなりデカい!きちんと整備されていて形がはっきりわかるから、という理由…

遺跡訪問-19.小盛山古墳

小盛山古墳は、佐古田堂山古墳の500m北側にあります。つくり山団地北の田んぼの中にあるこんもりした円墳です。案内板もありませんし、どこから墳丘に行けるのか全く分からず、たまたまいた地元の方に聞いてみたら、北側から行ける道があるようでした。なる…

遺跡訪問-18.佐古田堂山古墳

佐古田堂山古墳は高松稲荷の大鳥居をくぐって1km程北上すると、右手(東側)に見えてきます。そしてこの古墳はなんと!(ネットで事前に知ってはいたけど実際見ると改めて)驚くことに前方部が高松農業高校の実習果樹園なのでした~!ビツクリ。これってアリ…

遺跡訪問-17.尾上車山古墳

弟・吉備津彦系統2代目(つまり息子)が被葬者と思われる尾上車山古墳は、中山茶臼山古墳と同じ中山山塊ですが、東南端のギリギリ山と呼ばれる尾根上にあります。黒住教に至る車道からも前方部が何となく伺えるのですが、その車道から古墳に至る山道がありま…

遺跡訪問-16.矢藤治山古墳

中山茶臼山古墳から南方向に足を伸ばすと矢藤治山古墳を訪れることができます。穴観音~八徳寺~三十三観音像を通り抜け、車道に出て少し行くと黒住教の駐車場(道の南側)があり、そこに小さく案内板があってそこから山道に入り、帝釈天方向との分岐を左に…

遺跡訪問-15.中山茶臼山古墳

いよいよ下道氏の巡礼に入りました。まずは、下道氏初代の彦狭島命(稚武吉備津彦命、以降弟・吉備津彦と呼びます)の陵墓、中山茶臼山古墳からスタートです。この古墳は吉備津神社の真上にある感じなんですが、ちょっと話はそれますが、吉備津神社の祭神は…

遺跡訪問-14.一本松古墳

上道氏巡礼の締めをした後ですが、私が上道氏の葦守武彦命(浦凝別命の子、田狭臣の祖父)と考えている一本松古墳を訪問しました。 この古墳は、半田山植物園の中にあって植物園に入場しないとみることができません。※1回入場料約¥300、年間パスポート約¥1…

神社訪問-3.高蔵神社、本宮高蔵(高倉)山

吉備上道氏の古墳訪問の締めとして(一本松古墳残してますが)、高蔵神社に訪問しました。なんで高蔵神社?吉備津彦神社じゃないの?と思われる方も多いと思いますが、理由は後述。 で、現在ある高蔵神社には既訪問なので、今回は神社経由で本宮高蔵山(頂上…

遺跡訪問-13.両宮山古墳

備前最大の前方後円墳、両宮山古墳(墳長206m)は兄・吉備津彦命の陵墓と思われる浦間茶臼山古墳と同じく国の史跡に指定されてます。 初代と衰退直前の代の陵墓が共に国指定とは胸熱…いや誇らしいことなんですけどね。 流石に備前一の古墳だけあって見た目も…

遺跡訪問-12.玉井丸山古墳

ここは墳丘そのものが削平されて瀬戸町郷土館や大学の建物が建てられていて、さらに昔は小学校があったそうですが、墳丘にもすぐに上がれます。墳頂は約130mのようですが、正直、どこからどこまでが墳丘かはよく判りません。 なので"古墳"という雰囲気は全…

遺跡訪問-11.宍甘山王山古墳

完全に存在を忘れていた宍甘山王山古墳を訪問しました。 忘れていたくらいですから比定はできていません。 (こんな感じでは?くらいの推測は後ろで) 東岡山駅の東北、新幹線のトンネルが通っている山(宍甘山?)のほぼ頂部にあります。麓からは古墳の姿は見…

遺跡訪問-10.備前(湯迫)車塚古墳

倭健命の東征に随行した吉備武彦命の母or妻or妹・吉備建比売の陵墓と思われる備前車塚古墳を訪問しました。 (今回デジカメが一時故障したため写真ありません) (被葬者が、恥ずかしいから写真を撮るな!と警告されたのかも?) 事前にネット情報を調べたら…

遺跡訪問-9.神宮寺山古墳

倭健命の東征に随行した吉備武彦命の子、浦凝別命(兄・吉備津彦から見て曾孫)の陵墓と思われる神宮寺山古墳を訪問しました。 古代には三野と呼ばれた地で旭川の東岸に位置したと思われ (旭川の一番大きな流れが岡山総合グラウンド辺りを流れていたとして…

遺跡訪問-8.金蔵山古墳

彦五十狭芹彦命(兄・吉備津彦)の孫であり、倭健命の東征に随行した、吉備武彦命の陵墓と思われる金蔵山古墳を訪問しました。 こちらは操山ハイキング(トレッキング?)コースの中にあり、そんなに重要な見学ポイントの扱いは受けていないものの、しっかり…

遺跡訪問-7.湊茶臼山古墳、網浜茶臼山古墳と操山109号墳

既出記事で彦五十狭芹彦命(兄・吉備津彦)の子、日子刺肩別命の墓ではないかと書いた湊茶臼山古墳(125m)。そして近くにあるちょっと気になる網浜茶臼山古墳(92m)と操山109号墳(74m)を見てきました。 湊茶臼山古墳は、操山というか東山の南側、古代…

遺跡訪問-6.浦間茶臼山古墳 と竜王宮神社

(H30.3再訪→下に記事あり・書きかけ) 備前ではこの時期としては最大(推定全長138m)で最古形式(4C初)の前方後円墳、箸墓古墳の1/2の規格で造られてる、とすれば崇神天皇朝四道将軍・彦五十狭芹彦命(兄・吉備津彦)の墓でしか無いでしょう。と宝賀寿男先生…

吉備の古代史-11 上道氏関係の補足

兄・彦五十狭芹彦命とその直系の子孫の廟は皆前方後円墳です。 しかし同時期と考えられている吉備の古墳には前方後方墳も少なからずあります。 前方後円墳は皇族に近い氏族、吉備で言えば兄・彦五十狭芹彦命の上道氏、弟・彦狭島命の下道氏の直系は前方後円…

吉備の古代史-10 吉備氏と吉備津・吉備津彦神社

現在は、 備中一宮・吉備津神社の主祭神・・・大吉備津彦大神 備前一宮・吉備津彦神社の御祭神・・・大吉備津彦命 となってます吉備の神々。(備後は省きます。ご容赦) 先の記事でも書きましたが御友別命以降、吉備氏の本宗は下道氏となり、 兄・弟の2系統…

吉備の古代史-9 弟・下道系統

御友別命の子が稲速別命で、この2代が応神朝・仁徳朝の時代に当たると思われます。先に記しますが稲速別命の廟が作山古墳となり、御友別命・稲速別命のこの2代が吉備最大古墳の被葬者であろうと思われます。両古墳とも後円部主体部の調査がなされていない…

吉備の古代史-8 弟・下道系統

御鋤友耳命の子に御友別命が居ました。 ※御友別命は吉備武彦命の子ではありません。 御友別命は今の足守地域であろう葉田葦守宮に住んでいました。 成人した頃に後の応神天皇となるホムタワケ命と出会いました。 ホムタワケ命は大和王国の領土を視察するため…

吉備の古代史-7 弟・下道系統

弟・吉備津彦(彦狭島命)は吉備進攻後、出雲進攻にも出向いたかどうかは確かなところは不明ですが、恐らく拝領した下道(主に備中)に居住し、温羅を信奉していた地元民に対する支配を充実させていたのだと思います。 下道も同様に、この頃にこの地域がそう…

吉備の古代史-6 兄・上道系統

吉備武彦命の子孫は浦凝別(神宮寺山古墳)、葦守武彦命(玉井丸山古墳)と続きますが、3代孫の田狭臣の時に大和王国・雄略天皇から手痛い仕打ちを受けてしまいます。 追記:玉井丸山古墳、両宮山古墳を実見して考えが変わりました。玉井丸山古墳は田狭臣の…