sohramame’s 「吉備の古代を想う」吉備氏・尾張氏

岡山(吉備)の古代史についてですが、上古代日本史全般についても書いてます

スキトモ(懿徳天皇)のお話

第4代懿徳天皇のお話です。イワレヒコの孫ですが、父親はxxxなのです。会話・心情は創作ですが設定・背景は事実だと考えてます。
ちなみに懿徳=美徳の意です。

#スキトモ 1
兄オキソミミは政治に、王になることに
全く関心を示さなかった
イワレヒコ王国では
磯城の妃から生まれた長男は
不思議と王位を継がず
宮中で大成したものは出ていない
オキソミミはそのことに不安を感じ
タマテミが薨った時
日頃から政治に興味を示す
弟スキトモに王を継ぐことを勧めた

#スキトモ 2
というのは大間違いで
実際はスキトモの方が年上で
オキソミミは長子であるが兄では無かった
どういうことか?
スキトモは
アクト姫がタマテミの妃となる前
ヌカワミミとの間に生まれた子であった
タマテミには伏せられていたが
薨ると同時に磯城一族が
スキトモが王位継承者だと主張した

#スキトモ 3
もう長老の磯城の棟梁・黒速が
イスズ姫の後継を絶やしてはならぬ
とばかり王の跡継ぎに口を出したのだ
イスズヨリ姫の孫のオキシミミは
何でだ!と不満たらたらだったが
一族棟梁の言うことに逆らう気はなかった
反乱も起きずスキトモが王に就き
白橿の宮の近くに
軽之境岡の宮を設けた

#スキトモ 4
スキトモはオキシミミを嫌いでは無かった
ずっと一緒に遊んでたから
(異父弟でなく)実の兄弟のように思っていた
だが長老には従わねばならない
スキトモはオキシミミの上に立ったが
第一の家臣として
国の舵取りについて色々と
オキシミミに相談して国を治めた
安らかな時代であった

#スキトモ 5
スキトモは
磯城一族の長老・黒速の子で
現棟梁の葉江(ヌカワミミ・タマテミ世代)
さらにその子の若棟梁・太眞若の妹の長姫(太眞若姫)を
棟梁・葉江の指令で
妃として迎えた
スキトモは至って健康であり
長姫も丈夫な女性であって
すぐに玉のような子が出来る
と周りは期待していた

#スキトモ 6
しかし何年経っても玉のような子は産まれない
スキトモは長姫に
どうすれば子を授かるだろうか?
と問うた
長姫は遠慮しながらも
私たち一族が崇める三輪の神を
王が崇める天照大神のそばに
侍らせれば
二人の子ができるのではないでしょうか?
と答えた
そうかも
とスキトモは応えた

#スキトモ 7
天照大神と三輪の神を共に迎えて
スキトモの妃・長姫は
初の男児を授かった
王の喜びはひとしほだったが
それは王になってから20年後の事であった
安定の時代だったが長すぎた
男児が生まれて入れ替わるように
王は病になり
死の床に就きそのまま永眠してしまった
磯城一族は大混乱だ

#スキトモ 8
スキトモの男児は生まれたばかり
形式上兄のオキシミミには女児のみで
男児はいなく
王を継ぐ者が不在の状況
磯城一族の3代目棟梁・太真若彦は困ったが
宮臣を集めて会議すれば
意外な人物が推される危険もある
ここは
王の遺言で次の者を決めた
という体裁にしなければ…

#スキトモ 9
困っている太真若彦に妹・長姫(太真若姫)は
私がお助けしましょう、という風で言った
我が子が成人し王に就くまで
私達の弟・タギシヒコに王の仕事を
してもらいましょう
いえ、イワレヒコの男系子孫では無くても
私達の母がイワレヒコの血を継いでますから
決して変ではありません

#スキトモ 10
太真若彦は妹・長姫の提案に
それなら宮臣も賛成するかもな
と妙に納得して受け入れた
宮臣を集め
先王の和子が成人して王になるまでの間だけ
という条件で賛同してもらった
5代目にして初の
イワレヒコ男子直系で無い
かりそめの王が誕生した
諱をとって
ミマツヒコカエシネと呼ばれた

※漢風諡号で言えば、第4代懿徳天皇-第5代孝安天皇-第6代孝昭天皇記紀とは順序が入れ替わってますが、これが正しいのです。