sohramame’s 「吉備の古代を想う」吉備氏・尾張氏

岡山(吉備)の古代史についてですが、上古代日本史全般についても書いてます

古代史考察-2吉備氏外観 前方後円墳・前方後方墳・円墳まとめ

吉備氏に纏わる(と私が考える)前方後円墳前方後方墳・円墳は全て訪問しましたので表にまとめてみました。

1.兄・吉備津彦(上道氏)系統

NO 形態 古墳名 推定被葬者 世代 全長 造墳時期
01 方円 浦間茶臼山古墳 五十芹彦命 初代 140m 4C前半
02 方円 茶臼山古墳 125m 4C中頃~後半
03 方方 操山109号墳 高田姫 初代 76m 4C前半
04 方円 網浜茶臼山古墳 日子刺方別命 2代 92m 4C中頃
05 方方 備前車塚古墳 吉備武彦命・母 2代 48m 4C中頃
06 方円 金蔵山古墳 吉備武彦命 3代 165m 4C後半
07 方円 宍甘山王山古墳 穴戸武媛 3代 68m 4C後半
08 方円 神宮寺山古墳 浦凝別命 4代 155m 5C初
09 方円 一本松古墳 葦守武彦命 5代 65m 5C前半
10 方円 玉井丸山古墳 稲生臣 6代 150m 5C中頃
11 方円 両宮山古墳 田狭臣 7代 206m 5C後半

(形態:方円-前方後円墳、方方-前方後方墳
上道氏エリアで吉備氏(上道氏)直系に関係なさそうと思われる古墳(片山古墳、一日市古墳、操山古墳群など)は訪問・考察の対象外とさせていただきました。(関係あるかもしれませんが)
また吉備氏関係でも古墳後期、末期のものは省かせていただきました。(牟佐大塚訪問しましたが)
それにしても一本松古墳の小ささは気になります。出土品からみれば男性首長であろうと思われますし。比定が違うのか、それとも100m級の陵墓を築けない事情があったのか…

2.弟・吉備津彦(下道氏)系統

NO 形態 古墳名 推定被葬者 世代 全長 造墳時期
01 方円 中山茶臼山古墳 彦狭島命 初代 105m 4C前半
02 方円 矢藤治山古墳 彦狭島命・妃 初代 35m 4C前半
03 方円 尾上車山古墳 稚古止男命 2代 138m 4C中頃
04 方円 佐古田堂山古墳 御鋤友耳命 3代 150m 4C後半
05 小盛山古墳 兄媛 4代 95m 5C初
06 方円 造山古墳 御友別命 4代 350m 5C前半
07 方円 作山古墳 稲速別命 5代 282m 5C中頃
08 方円 小造山古墳 速津彦臣 6代 142m 5C後半
09 方円 宿寺山古墳 窪屋臣 7代 118m 5C後半
10 方円 こうもり塚古墳古墳 津布子臣? 8代? 100m 6C

(形態:方円-前方後円墳、円ー円墳)
こちらも、下道氏エリアで吉備氏(下道氏)直系に関係なさそうと思われる古墳は訪問・考察の対象外とさせていただきました。(関係あるかもしれませんが)
また吉備氏関係でも、こうもり塚古墳以外の古墳後期、末期のものは省かせていただきました。(江崎古墳など)
やはり造山古墳、作山古墳の大きさは別格ですね。改めて応仁・仁徳朝でも下道氏の優遇がどれほどだったかを実感できます。

これで古墳築造状況からの吉備氏の考察をとりあえず完了とさせていただきます。
今後は吉備氏と姻戚関係を結び、吉備氏と同族関係になっていった氏族、賀陽臣氏、苑臣氏、笠臣氏、三野臣氏などの状況を文献や神社祭神などをたどって研究していくつもりです。
(直接関係ないけど吉備津彦神社・梅)
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