神社訪問-4.葦守八幡宮、葉田葦守宮跡

吉備氏(上道氏、下道氏)の前方後円墳訪問は完了したので、神社他の遺跡訪問に移っていきます。

今回は、葦守八幡宮および葉田葦守宮跡に訪問しました。
説明は不要かとは思いますが足守にあります。
なぜここかと言いますと、私、応神天皇が大変気になっておりまして、古墳時代の中では関心No.2なのです。
(No.1は尾張氏の眞若姫です)

JR足守駅から国道429号沿いに1.5km程北上したところにある当社。
正面参道は本殿・拝殿から南に延びていますが、
(200m程南の一の鳥居は日本最古の部類のものらしい)
本殿・拝殿の西側参道を降りきったところに葉田葦守宮跡があります。でも宮跡といっても石柱が立っているだけで、何をもって宮跡としてるのかは全く分かりません。
*宮跡の痕跡がどこかに残ってるのでしょうか?それとも何かの文献にこの場所(西参道登り口)にあったと書かれてるのでしょうか?
正直「ホントにここだったの?」という思いは拭い去れませんが、ま、それは置いといて立派な本殿・拝殿と(南に延びる)存在感ある参道は、この社がかなりこの地域の尊崇を集めていたことを物語っていますね。江戸期の足守藩主木下家の庇護があったからでしょうけど、それ以前からも地域の鎮守であったんでしょうね。
足守川をはさんだ決して狭くない平野全体をよく見渡せる立地にあります。しかしながら…

考察に入りますが持論では、応神天皇の時世、御友別命が造山古墳、兄媛命が小盛山古墳、父の御鋤友耳命が佐古田堂山古墳ですので、葉田葦守宮が現在の葦守八幡宮の地にあったというのは何となく違和感を感じます。葉田というのが何を意味するかは決め手がありませんが、(秦氏がこの地に繁栄したのは応神天皇時世よりは時代が下ると考えています)より相応しい場所は高松地域、言ってみれば現在の高松稲荷がある地が最適では無いかと思うんです。
この地に本拠を構えていたからこそ父や妹の陵墓が高松地域にある、
御友別命については威光を伝えるために山陽道に近い場所を選んだんでしょう。高松地域こそがこの当時の下道氏の本拠地であった、と私は考えたいです。下道氏=吉備氏の聖山、竜王山の麓でもありますし。

そんなわけで足守地域は、経済がより河川交通に依拠するようになった中世・近世以降に重要拠点として発展していったのではないか。
毛利家側の拠点であった高松城を陥落させた織豊政権は高松を捨てて足守を拠点として考えたのかもしれません。
とりあえず現時点では、こういう結論で結ばせていただければと思います。(また新たに勉強したら追記いたします)

葦守八幡宮ーWikipedia

(葦守八幡宮拝殿)

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(葦守八幡宮本殿)

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(葉田葦守宮跡)

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