遺跡訪問-11.宍甘山王山古墳

完全に存在を忘れていた宍甘山王山古墳を訪問しました。

忘れていたくらいですから比定はできていません。

(こんな感じでは?くらいの推測は後ろで)

東岡山駅の東北、新幹線のトンネルが通っている山(宍甘山?)のほぼ頂部にあります。麓からは古墳の姿は見えません。

で、こちらはまず墳丘に至る山道がわかりづらいです。

というか新幹線高架に近いふれあい公民館?の下からの山に入っていく道がありますが、これが途中で雑草が生い茂って行けない。

(藪漕ぎする勇気があれば行けると思います)

仕方ないので少し北に移動して民家の間の道を入っていけば先程の山道とつながる道がありましたので、そこから登れました。

(も少し北に、他にも山道への入り口はあるようです)

この山道は途中までコンクリートで固められた道でその上に落ち葉が堆積してる感じで、しばらく登ると左手に大きなブドウ畑が見えてきます。その畑が見える少し手前に右に上がる道があり、それが古墳に至る山道でした(コンクリート舗装はされてません)。

さらにしばらく登るとくびれ部から後円部に山王社が見えてきます。

お参りして墳丘の写真を撮って参りました。

 

この古墳は困りました。比定すべき明確な人物が思い当たりません。

訪れて実感できましたが、墳形は吉備津彦命の浦間茶臼山古墳と同じ形です。つまり初期の古墳に近いものです。そして採取された埴輪は都月型よりやや新しいものだったらしいです。

先の車塚古墳を吉備建比売の陵墓ではないかと推測しましたが、この古墳の存在を思い出した時、こちらの方が吉備建比売の陵墓に相応しいと思ったのですが、

※思った理由は、①功績のあった皇族・倭健命の妃であれば前方後円墳であってもおかしくない②金蔵山古墳・車塚古墳とともに上道平野を見下ろす古墳である、です

墳形・埴輪から考えると初代・吉備津彦命か2代目・日子刺肩別命の頃の人の陵墓ではないか、となってしまうのです。

また墳長がやや小さいのも比定を困難にする要因です。

※困難な理由は、初代か2代目の男子で首長になれなかった系図に現れない人が居たか、同じく系図に現れない女子が居たか です。

なので現時点では、

①吉備建比売の陵墓で、墳形は浦間茶臼山古墳よりも倭健命の津堂城山古墳に相似、埴輪は吉備建比売の時代よりも少し古いものが混じっていた(先行して作られていた)と考える。

②2代目・日子刺肩別命の兄弟姉妹で系図に現れない人の陵墓であった。(日子刺肩別命の網浜茶臼山古墳が穴海からよく見えた様に、この宍甘山王山古墳も大多羅方面の穴海からよく見えたと思われます)

と考えておき、さらに勉強して考察を深めたいと思っています。

ただ、浦間茶臼山古墳とも相似した前方後円墳で、浦間茶臼山古墳より後のものとなれば、吉備氏(上道氏)の古墳であることは間違いないと、ここは割りと自信を持って思っています。

宍甘山王山古墳(岡山シティミュージアムHPより)

 

(古墳遠景)

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(後円部山王社)

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