遺跡訪問-8.金蔵山古墳

彦五十狭芹彦命(兄・吉備津彦)の孫であり、倭健命の東征に随行した、吉備武彦命の陵墓と思われる金蔵山古墳を訪問しました。

こちらは操山ハイキング(トレッキング?)コースの中にあり、そんなに重要な見学ポイントの扱いは受けていないものの、しっかりと説明看板や案内標識が立っているので、距離は少し歩かないといけないものの、割とわかりやすく行ける場所にありました。

しかし、平成になってから何度も調査されているものの後円部墳頂に赴く道はあまりはっきりしておらず(古墳に上がる道はこれしかないように思われました)、また林の中にあるため、古墳の輪郭・全体像はわかりにくい状態になっており、これまでの上道氏関係の古墳と同じように不遇な扱いを受けている印象でした。

元々山の中腹に作られていて、今は林の中に埋もれているのも、存在がわかりにくく、その偉大さが伝わりにくい要因なのでしょうね。

主体部の石室は既に盗掘を受けており、盗掘されたままの状態になっているのも少し物悲しさを感じます。

盗掘されたもの以外の発掘物は文献をご確認いただけたらと思いますが、倭建命の陵墓と推測される津堂城山古墳と似た形象埴輪、鍬形石、変形神獣鏡を出し、他にも豊富な鉄製品・武具が発掘されており東征に随行した吉備武彦命の陵墓らしい副葬品がでているようです。

※平野部にある神宮寺山古墳も部分的発掘ながら大量の鉄製品を出しており、こちらも同時代の大首長の陵墓かと思われますが、金蔵山古墳の方がわずかに先行し、出土品の種類も豊富であるようです。

吉井川に近い浦間界隈から操山・龍ノ口山・高蔵竜王山の麓に広がる上道平野(原岡山市中区・東区・赤磐市山陽町)に拠点を移し吉備の地を豊かにしながら、同時に大和王国の更なる領土拡張に力を貸す上道氏の日毎の繁栄が見えるような湊茶臼山古墳、網浜茶臼山古墳、金蔵山古墳でした。(そして神宮寺山古墳の頃に絶頂を迎えるのでしょう)

※この金蔵山古墳のある辺りの地名は、沢田字竜王というらしいです。近くには高倉山があるようですし、古墳の森ふれあい広場には八大龍王・妙見菩薩の碑もありますので上道氏に関する陵墓であることは確実ではないかと思います。

 

操山古墳群 - Wikipedia

(後円部墳頂に向かう山道)

f:id:sohramame:20170827162917j:plain

(後円部墳頂・盗掘された主体部石室と思われる穴)

f:id:sohramame:20170827162947j:plain