吉備の古代史-3 出雲進攻

吉備津彦兄弟の吉備征服完了から10年ほど立った時、崇神天皇は最後の勅命を功臣兄弟に下します。

「我の王国完成のための最後の仕上げに武渟川別命とともに出雲に進攻し、我が領土としてくれ」

兄・吉備津彦彦五十狭芹彦命)は二つ返事で拝命しました。弟・吉備津彦彦狭島命)は吉備の国がまだ安定してないし、出雲攻略も決して簡単ではないと思いましたが、兄の意向には逆らわず、後方支援と吉備の守備に回ることにしました。

当時の出雲国は東半の意宇勢力と西半の杵築勢力連合王国。まずは、東の意宇勢力を従えるべく、進軍を開始します。

弟が前線に出ない分は、吉備進攻もともにした久米部族、吉備弓削部に加え、物部氏族、丸部氏族の援軍を天皇からあらたに受け、兄・吉備津彦は簸川を上り、院庄から出雲街道を進み、熊野方面へと進軍します。

武渟川別命も先に王国に恭順した伯耆国造族を従え、大仙の北側を海岸沿いに進軍し、これも熊野方面を目指します。

迎え撃つは飯入根命の一族(後の出雲国造)。しかし、四十曲峠から一糸乱れず隊列を組んで、弓の弦をブンブン鳴らしながら降りてくる吉備津彦軍団を見て、海側からも武渟川軍が進んできていることを知り、あっけなく白旗をあげます。兵数・練度の差、地の利の悪さを見て、飯入根命は無駄な戦闘を避けたのです。そして杵築の国とともに大和王国の軍門に下り、支配下での出雲国の生き残りに賭けることにしました。

飯入根命は吉備津彦命武渟川別命に対し「私が降伏するように、出雲振根を説得してまいります」と申し出て、先に杵築・出雲郷の止屋の淵に息子の鸕濡渟命と出かけていきました。しかし「おとなしく降伏されて意宇・杵築の両国がそのまま残ってしまうのは先々に不安を残す」と考えた武渟川別命は2人よりも先に、出雲振根命に、鸕濡渟命の部下だと偽装した使者を送ります。「我が主、鸕濡渟命は杵築の神宝を奪い、大和の王国に献上するつもりだ!」と。