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神社訪問-2.尾針神社

京山の麓、伊福の地に鎮座してます(現在の町名は京山)。平安時代の頃には、尾治針名眞若比咩神社と対をなす神社であったのではないでしょうか?(あるいは元は1つだったのかも知れません)。祭神は尾張氏の祖、天火明命ですが、「吉備温故秘録」には眞若姫の兄(弟)の尾綱根命であったのでは?とも書かれてます。兄弟姉妹で対をなす神社同士だったとすれば、納得いく感じです。

同じ尾張氏系の氏族で、伊福の民は尾針神社、津島(福居)の民は尾治針名眞若比咩神社となって張り合ってたのかもしれませんね。

例大祭は、

尾治針名眞若比咩神社-10月26日

尾針神社-10月20日21日

と連携を感じられます。

ただ両社とも昔から現在の地にあったかどうかはかなり怪しいと思われます。この地も明治までは「栗岡宮」と呼ばれ別の神様がおられた様子。もしかしたら今の岡山城の地にあったのかも知れません。

尾治針名眞若比咩神社ファンとしては悲しいことですが、現在は尾針神社は参拝客も多く立派な本殿・拝殿を構えており、同じ式内社同士でこうも差がついてしまうものかと悲しく思ってます。

それは置いといて、こちらは境内に磐境があり土師器・須恵器が出土してることから、古墳時代から聖域として存在していたことを物語っています。

(ちなみに尾治針名眞若比咩神社の後方地(本殿の上方)には都月坂古墳、西方には七つグロ古墳がありこちらも古墳時代初期から聖域だったと思われます)

(追記)

最近読んだ「吉備氏」(宝賀寿男先生著)から得た知識

濃尾にいた尾張氏は、吉備に進行・支配した彦五十狭芹彦命(吉備津彦)の孫にあたり、ヤマトタケルの東征の副官だった吉備武彦命とともに東征に参加し、一部がそのまま吉備武彦命とともに吉備に移動し住み着いたのでは?と書かれてました。その部族が尾針神社・尾治針名眞若比咩神社を創ったのでは?ということです。

具体的にどの人が吉備に移動したのか?ということまでは書かれてませんでしたが、次の可能性があるかと考えられます。

①尾綱根命、尾綱眞若戸婢が移動・遷住した

②系図に残るような人ではないが尾張氏に属する人たちが遷住した

③後に伊福部氏と呼ばれる人たちが遷住した

私は、後月郡や足次山神社の存在から①の可能性も十分にあるのでは?と思ってます。

 

 

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(wikiから拝借)

 

尾針神社 - Wikipedia

http://www.genbu.net/data/bizen/ohari_title.htm

(玄松子さんHP)

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(宝賀寿男先生「吉備氏」)