sohramame’s 「吉備の古代を想う」吉備氏・尾張氏

岡山(吉備)の古代史についてですが、上古代日本史全般についても書いてます

遺跡訪問

遺跡訪問-24.鬼ノ城(鬼城山)

今回は、古墳では無く古代山城跡、鬼ノ城に訪問しました。(鬼ノ城・鬼城山どちらでも間違いないと思いますが、この記事では鬼ノ城に統一しておきます) なぜ鬼ノ城かというと、吉備氏(上道氏・下道氏)の古墳訪問を完了して締めくくりとして、吉備氏が最初…

遺跡訪問-23.宿寺山古墳とこうもり塚古墳

下道氏陵墓訪問の締めとして、宿寺山古墳とこうもり塚古墳に訪問しました。宿寺山古墳は昔の山陽道沿いの南側に位置します。町中にあるので古墳はすぐ見つかります。ただし往時の面影はありません。木々がいっぱい生えたこんもりした丘、としか見えません。…

遺跡訪問-22.小造山古墳

行ってきました小造山古墳。行くまでは場所がわからず、捜索難航は必至!と不安いっぱいの出発だったのですが、事前に偉大な先人のNETの教えを見たので、工業団地から入ってすぐに見つけることができました。ただ、場所はすぐに分かったんですが、墳丘(後円…

遺跡訪問-21.作山古墳

「さくざん」古墳行って参りました。ここも、今までの古墳と比べられないくらい立派な陵墓です。ただ造山古墳の後だと、やはり見劣りはしますね。後円部が(真円ではなく)やや楕円に近いとこや、前方部付近に丘陵が残っている所とかも含めまして。現在は周…

遺跡訪問-20.造山古墳

いよいよ最大の見どころ「造山古墳」(私は昔からの癖でぞうざんと呼んでいます。作山はさくざん)訪問しました。吉備一と言われるだけあって「でかい!」。今までの古墳と比べてもかなりデカい!きちんと整備されていて形がはっきりわかるから、という理由…

遺跡訪問-19.小盛山古墳

小盛山古墳は、佐古田堂山古墳の500m北側にあります。つくり山団地北の田んぼの中にあるこんもりした円墳です。案内板もありませんし、どこから墳丘に行けるのか全く分からず、たまたまいた地元の方に聞いてみたら、北側から行ける道があるようでした。なる…

遺跡訪問-18.佐古田堂山古墳

佐古田堂山古墳は高松稲荷の大鳥居をくぐって1km程北上すると、右手(東側)に見えてきます。そしてこの古墳はなんと!(ネットで事前に知ってはいたけど実際見ると改めて)驚くことに前方部が高松農業高校の実習果樹園なのでした~!ビツクリ。これってアリ…

遺跡訪問-17.尾上車山古墳

弟・吉備津彦系統2代目(つまり息子)が被葬者と思われる尾上車山古墳は、中山茶臼山古墳と同じ中山山塊ですが、東南端のギリギリ山と呼ばれる尾根上にあります。黒住教に至る車道からも前方部が何となく伺えるのですが、その車道から古墳に至る山道がありま…

遺跡訪問-16.矢藤治山古墳

中山茶臼山古墳から南方向に足を伸ばすと矢藤治山古墳を訪れることができます。穴観音~八徳寺~三十三観音像を通り抜け、車道に出て少し行くと黒住教の駐車場(道の南側)があり、そこに小さく案内板があってそこから山道に入り、帝釈天方向との分岐を左に…

遺跡訪問-15.中山茶臼山古墳

いよいよ下道氏の巡礼に入りました。まずは、下道氏初代の彦狭島命(稚武吉備津彦命、以降弟・吉備津彦と呼びます)の陵墓、中山茶臼山古墳からスタートです。この古墳は吉備津神社の真上にある感じなんですが、ちょっと話はそれますが、吉備津神社の祭神は…

遺跡訪問-14.一本松古墳

上道氏巡礼の締めをした後ですが、私が上道氏の葦守武彦命(浦凝別命の子、田狭臣の祖父)と考えている一本松古墳を訪問しました。 この古墳は、半田山植物園の中にあって植物園に入場しないとみることができません。※1回入場料約¥300、年間パスポート約¥1…

遺跡訪問-13.両宮山古墳

備前最大の前方後円墳、両宮山古墳(墳長206m)は兄・吉備津彦命の陵墓と思われる浦間茶臼山古墳と同じく国の史跡に指定されてます。 初代と衰退直前の代の陵墓が共に国指定とは胸熱…いや誇らしいことなんですけどね。 流石に備前一の古墳だけあって見た目も…

遺跡訪問-12.玉井丸山古墳

ここは墳丘そのものが削平されて瀬戸町郷土館や大学の建物が建てられていて、さらに昔は小学校があったそうですが、墳丘にもすぐに上がれます。墳頂は約130mのようですが、正直、どこからどこまでが墳丘かはよく判りません。 なので"古墳"という雰囲気は全…

遺跡訪問-11.宍甘山王山古墳

完全に存在を忘れていた宍甘山王山古墳を訪問しました。 忘れていたくらいですから比定はできていません。 (こんな感じでは?くらいの推測は後ろで) 東岡山駅の東北、新幹線のトンネルが通っている山(宍甘山?)のほぼ頂部にあります。麓からは古墳の姿は見…

遺跡訪問-10.備前(湯迫)車塚古墳

倭健命の東征に随行した吉備武彦命の母or妻or妹・吉備建比売の陵墓と思われる備前車塚古墳を訪問しました。 (今回デジカメが一時故障したため写真ありません) (被葬者が、恥ずかしいから写真を撮るな!と警告されたのかも?) 事前にネット情報を調べたら…

遺跡訪問-9.神宮寺山古墳

倭健命の東征に随行した吉備武彦命の子、浦凝別命(兄・吉備津彦から見て曾孫)の陵墓と思われる神宮寺山古墳を訪問しました。 古代には三野と呼ばれた地で旭川の東岸に位置したと思われ (旭川の一番大きな流れが岡山総合グラウンド辺りを流れていたとして…

遺跡訪問-8.金蔵山古墳

彦五十狭芹彦命(兄・吉備津彦)の孫であり、倭健命の東征に随行した、吉備武彦命の陵墓と思われる金蔵山古墳を訪問しました。 こちらは操山ハイキング(トレッキング?)コースの中にあり、そんなに重要な見学ポイントの扱いは受けていないものの、しっかり…

遺跡訪問-7.湊茶臼山古墳、網浜茶臼山古墳と操山109号墳

既出記事で彦五十狭芹彦命(兄・吉備津彦)の子、日子刺肩別命の墓ではないかと書いた湊茶臼山古墳(125m)。そして近くにあるちょっと気になる網浜茶臼山古墳(92m)と操山109号墳(74m)を見てきました。 湊茶臼山古墳は、操山というか東山の南側、古代…

遺跡訪問-6.浦間茶臼山古墳 と竜王宮神社

(H30.3再訪→下に記事あり) 備前ではこの時期としては最大(推定全長138m)で最古形式(4C初)の前方後円墳、箸墓古墳の1/2の規格で造られてる、とすれば崇神天皇朝四道将軍・彦五十狭芹彦命(兄・吉備津彦)の墓でしか無いでしょう。と宝賀寿男先生も私も思っ…

遺跡訪問-5.お塚様古墳

正直、ここは見たことも行ったこともありません。今は跡形もなく公営住宅地になっているようです。有し頃は「五つグロ(つちへんに丸)とお塚様」と呼ばれていたそうで、4基の小円墳と1基は前方後円墳(お塚様)だったそうです。(あれ?数が合わないか?) 5C…

遺跡訪問-4.一本松古墳

この古墳は再訪をして、新たに勉強した内容の下に記事を書き直してます。「遺跡訪問-14.一本松古墳」をご覧ください。 半田山植物園の中にある前方後円墳です。植物園の風景と一体化してるのであまり古墳!とした印象はないです。5C中頃、造山・作山古…

遺跡訪問-3.神宮寺山古墳

この古墳は再訪をして、新たに勉強した内容の下に記事を書き直してます。「遺跡訪問-9.神宮寺山古墳」をご覧ください。 御野小学校の北東側にある前方後円墳です。(前方部の一部は小学校にとりこまれたらしいです)4C(350~375あたりか?)頃の造墓と…

遺跡訪問-2.都月坂古墳群

半田山と烏山の間、七つグロ古墳群の東側にあります。 (といっても何の仕切りも看板もありません) 1号墳は正に稜線上にある前方後方墳。4世紀第1四半期(301-325)の頃の墓らしいです。竪穴式石室の底には朱が認められ、発掘された特殊器台や特殊壺には丹…

遺跡訪問-1.七つグロ古墳群

グロは、つちへんに丸と書く漢字です。 尾治針名眞若比咩神社の参道から横にそれて、西方向に20分ほど山腹をあるいたところ、南に伸びる尾根伝いにある古墳群です。 (私が最後に訪れて3年以上経つので今は山道が無くなっているかもしれません) 9つ程発見…