sohramame’s 「吉備の古代を想う」吉備氏・尾張氏

岡山(吉備)の古代史についてですが、上古代日本史全般についても書いてます

吉備の古代史 弟・下道系統

神社訪問-5.高松最上稲荷奥の院、竜王山一乗寺

最上稲荷ならびに奥の院は神社っぽい場所ではないですが(神仏習合なので)神社訪問とさせてください。鳥居も沢山あるし。しかし、最上稲荷も一乗寺も目的地ではありません。私の目的はひたすら竜王山。といっても竜王山は一乗寺の境内の中にあり、八大竜王…

神社訪問-4.葦守八幡宮、葉田葦守宮跡

吉備氏(上道氏、下道氏)の前方後円墳訪問は完了したので、神社他の遺跡訪問に移っていきます。 今回は、葦守八幡宮および葉田葦守宮跡に訪問しました。説明は不要かとは思いますが足守にあります。なぜここかと言いますと、私、応神天皇が大変気になってお…

遺跡訪問-23.宿寺山古墳とこうもり塚古墳

下道氏陵墓訪問の締めとして、宿寺山古墳とこうもり塚古墳に訪問しました。宿寺山古墳は昔の山陽道沿いの南側に位置します。町中にあるので古墳はすぐ見つかります。ただし往時の面影はありません。木々がいっぱい生えたこんもりした丘、としか見えません。…

遺跡訪問-22.小造山古墳

行ってきました小造山古墳。行くまでは場所がわからず、捜索難航は必至!と不安いっぱいの出発だったのですが、事前に偉大な先人のNETの教えを見たので、工業団地から入ってすぐに見つけることができました。ただ、場所はすぐに分かったんですが、墳丘(後円…

遺跡訪問-21.作山古墳

「さくざん」古墳行って参りました。ここも、今までの古墳と比べられないくらい立派な陵墓です。ただ造山古墳の後だと、やはり見劣りはしますね。後円部が(真円ではなく)やや楕円に近いとこや、前方部付近に丘陵が残っている所とかも含めまして。現在は周…

遺跡訪問-20.造山古墳

いよいよ最大の見どころ「造山古墳」(私は昔からの癖でぞうざんと呼んでいます。作山はさくざん)訪問しました。吉備一と言われるだけあって「でかい!」。今までの古墳と比べてもかなりデカい!きちんと整備されていて形がはっきりわかるから、という理由…

遺跡訪問-19.小盛山古墳

小盛山古墳は、佐古田堂山古墳の500m北側にあります。つくり山団地北の田んぼの中にあるこんもりした円墳です。案内板もありませんし、どこから墳丘に行けるのか全く分からず、たまたまいた地元の方に聞いてみたら、北側から行ける道があるようでした。なる…

遺跡訪問-18.佐古田堂山古墳

佐古田堂山古墳は高松稲荷の大鳥居をくぐって1km程北上すると、右手(東側)に見えてきます。そしてこの古墳はなんと!(ネットで事前に知ってはいたけど実際見ると改めて)驚くことに前方部が高松農業高校の実習果樹園なのでした~!ビツクリ。これってアリ…

遺跡訪問-17.尾上車山古墳

弟・吉備津彦系統2代目(つまり息子)が被葬者と思われる尾上車山古墳は、中山茶臼山古墳と同じ中山山塊ですが、東南端のギリギリ山と呼ばれる尾根上にあります。黒住教に至る車道からも前方部が何となく伺えるのですが、その車道から古墳に至る山道がありま…

遺跡訪問-16.矢藤治山古墳

中山茶臼山古墳から南方向に足を伸ばすと矢藤治山古墳を訪れることができます。穴観音~八徳寺~三十三観音像を通り抜け、車道に出て少し行くと黒住教の駐車場(道の南側)があり、そこに小さく案内板があってそこから山道に入り、帝釈天方向との分岐を左に…

遺跡訪問-15.中山茶臼山古墳

いよいよ下道氏の巡礼に入りました。まずは、下道氏初代の彦狭島命(稚武吉備津彦命、以降弟・吉備津彦と呼びます)の陵墓、中山茶臼山古墳からスタートです。この古墳は吉備津神社の真上にある感じなんですが、ちょっと話はそれますが、吉備津神社の祭神は…

吉備の古代史-9 弟・下道系統

御友別命の子が稲速別命で、この2代が応神朝・仁徳朝の時代に当たると思われます。先に記しますが稲速別命の廟が作山古墳となり、御友別命・稲速別命のこの2代が吉備最大古墳の被葬者であろうと思われます。両古墳とも後円部主体部の調査がなされていない…

吉備の古代史-8 弟・下道系統

御鋤友耳命の子に御友別命が居ました。 ※御友別命は吉備武彦命の子ではありません。 御友別命は今の足守地域であろう葉田葦守宮に住んでいました。 成人した頃に後の応神天皇となるホムタワケ命と出会いました。 ホムタワケ命は大和王国の領土を視察するため…

吉備の古代史-7 弟・下道系統

弟・吉備津彦(彦狭島命)は吉備進攻後、出雲進攻にも出向いたかどうかは確かなところは不明ですが、恐らく拝領した下道(主に備中)に居住し、温羅を信奉していた地元民に対する支配を充実させていたのだと思います。 下道も同様に、この頃にこの地域がそう…