sohramame’s 「吉備の古代を想う」吉備氏・尾張氏

岡山(吉備)の古代史についてですが、上古代日本史全般についても書いてます

吉備の古代史 兄・上道系統

遺跡訪問-14.一本松古墳

上道氏巡礼の締めをした後ですが、私が上道氏の葦守武彦命(浦凝別命の子、田狭臣の祖父)と考えている一本松古墳を訪問しました。 この古墳は、半田山植物園の中にあって植物園に入場しないとみることができません。※1回入場料約¥300、年間パスポート約¥1…

神社訪問-3.高蔵神社、本宮高蔵(高倉)山

吉備上道氏の古墳訪問の締めとして(一本松古墳残してますが)、高蔵神社に訪問しました。なんで高蔵神社?吉備津彦神社じゃないの?と思われる方も多いと思いますが、理由は後述。 で、現在ある高蔵神社には既訪問なので、今回は神社経由で本宮高蔵山(頂上…

遺跡訪問-13.両宮山古墳

備前最大の前方後円墳、両宮山古墳(墳長206m)は兄・吉備津彦命の陵墓と思われる浦間茶臼山古墳と同じく国の史跡に指定されてます。 初代と衰退直前の代の陵墓が共に国指定とは胸熱…いや誇らしいことなんですけどね。 流石に備前一の古墳だけあって見た目も…

遺跡訪問-12.玉井丸山古墳

ここは墳丘そのものが削平されて瀬戸町郷土館や大学の建物が建てられていて、さらに昔は小学校があったそうですが、墳丘にもすぐに上がれます。墳頂は約130mのようですが、正直、どこからどこまでが墳丘かはよく判りません。 なので"古墳"という雰囲気は全…

遺跡訪問-11.宍甘山王山古墳

完全に存在を忘れていた宍甘山王山古墳を訪問しました。 忘れていたくらいですから比定はできていません。 (こんな感じでは?くらいの推測は後ろで) 東岡山駅の東北、新幹線のトンネルが通っている山(宍甘山?)のほぼ頂部にあります。麓からは古墳の姿は見…

遺跡訪問-10.備前(湯迫)車塚古墳

倭健命の東征に随行した吉備武彦命の母or妻or妹・吉備建比売の陵墓と思われる備前車塚古墳を訪問しました。 (今回デジカメが一時故障したため写真ありません) (被葬者が、恥ずかしいから写真を撮るな!と警告されたのかも?) 事前にネット情報を調べたら…

遺跡訪問-9.神宮寺山古墳

倭健命の東征に随行した吉備武彦命の子、浦凝別命(兄・吉備津彦から見て曾孫)の陵墓と思われる神宮寺山古墳を訪問しました。 古代には三野と呼ばれた地で旭川の東岸に位置したと思われ (旭川の一番大きな流れが岡山総合グラウンド辺りを流れていたとして…

遺跡訪問-8.金蔵山古墳

彦五十狭芹彦命(兄・吉備津彦)の孫であり、倭健命の東征に随行した、吉備武彦命の陵墓と思われる金蔵山古墳を訪問しました。 こちらは操山ハイキング(トレッキング?)コースの中にあり、そんなに重要な見学ポイントの扱いは受けていないものの、しっかり…

遺跡訪問-7.湊茶臼山古墳、網浜茶臼山古墳と操山109号墳

既出記事で彦五十狭芹彦命(兄・吉備津彦)の子、日子刺肩別命の墓ではないかと書いた湊茶臼山古墳(125m)。そして近くにあるちょっと気になる網浜茶臼山古墳(92m)と操山109号墳(74m)を見てきました。 湊茶臼山古墳は、操山というか東山の南側、古代…

遺跡訪問-6.浦間茶臼山古墳 と竜王宮神社

(H30.3再訪→下に記事あり) 備前ではこの時期としては最大(推定全長138m)で最古形式(4C初)の前方後円墳、箸墓古墳の1/2の規格で造られてる、とすれば崇神天皇朝四道将軍・彦五十狭芹彦命(兄・吉備津彦)の墓でしか無いでしょう。と宝賀寿男先生も私も思っ…

吉備の古代史-6 兄・上道系統

吉備武彦命の子孫は浦凝別(神宮寺山古墳)、葦守武彦命(玉井丸山古墳)と続きますが、3代孫の田狭臣の時に大和王国・雄略天皇から手痛い仕打ちを受けてしまいます。 追記:玉井丸山古墳、両宮山古墳を実見して考えが変わりました。玉井丸山古墳は田狭臣の…

吉備の古代史-5 兄・上道系統

兄・吉備津彦(彦五十狭芹彦命)は出雲進攻完了後、吉備に戻り上道(備前)を拝領した支配地として居住します。 ただ、この頃にこの地域が吉備とか上道とかと呼ばれたかは、今となっては分かりません。数百年後の記紀やその他の資料に載ってるから我々はそう…