sohramame’s 「吉備の古代を想う」吉備氏・尾張氏

岡山(吉備)の古代史についてですが、上古代日本史全般についても書いてます

Twitterで 神武天皇~崇神天皇のお話を呟いてます

Twitterで毎日140字で、原ヤマト王国の王(神武~崇神)のお話を呟いてます。
宝賀先生の古代史論をベースに、少し脚色を加えて物語風に作文してます。
記紀とは違う内容もありますが、これが真実の歴史だ!と思っています。
良ければ読んでみてください。

https://twitter.com/kmichi13/moments

なお、宝賀先生が考える(ただし一部私見が入ってます)神武天皇一族の系図は次のとおりです。ご参考に。
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イニエ・知初國(はつくにしらす)物語47- 四道将軍(キビツヒコ)の活躍

第10代崇神天皇のお話で、四道将軍の活躍のパートです。ただし全てを書くと長くなるので、キビツヒコだけを記載してます。
フトニ(孝霊天皇)の子で、第9代開化天皇とは従弟の関係です。イニエ(五十瓊殖)の「ニ」はフトニの「ニ」と同じ。「瓊」(たま、硬玉、ヒスイ)の意味です。会話・心情は創作ですが設定・背景は事実だと考えてます。

なお、宝賀先生が考える(ただし一部私見が入ってます)神武天皇一族の系図は次のとおりです。ご参考に。
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#イニエ 47
ハニヤスヒコの反乱が潰えて
雨降って地固まる、に倣う通り
ヤマト王国拡大路線に先駆け
四道将軍たちの忠誠と結束を図ることができ
イニエは満足だった

彼の王は不思議と
自ら何をしなくても
希望通り物事が進んでいく
幸運にまみれた人物だった
多くはモモソ姫の人格と才能によるが…

#イニエ 48
キビツヒコ・兄は
イニエからハニヤスヒコの反乱の前に下された
西・山陽の平定を改めて実行するため
弟と共に難波から針間へと向かった

大和王国の現在の西端である針間の
後の息長氏に繋がる一族を訪れ
更に西の小覇王たちの情報収集と
その地にある竜王山で
平定行軍の戦勝を祈願した

#イニエ 49
キビツヒコ兄弟は
全く性格が異なっていた
兄は王・イニエに忠誠を誓う
実直で武闘派の戦士
それ以外の事は関心なし

弟は一歩引いて冷静に世の中を見てる
ヤマト王国の為に働きながら
自分の足元を見つめる
今回の針間滞在でも
地元一族に妹を嫁がせ
自身も妃を貰って
基盤を築いてる

※キビツヒコ・兄は実名イサセリヒコ、弟の実名はヒコサシマです。

#イニエ 50
戦い方も
キビツヒコ兄弟は正反対だった
兄は自身の自慢の弓と
屈強の弓隊を率いての
雨のような弓攻撃による
猪突猛進
退くことを知らない

弟はその後方で支援をし
敵も味方もより損失を少なくするような
頭脳戦を得意とした
どちらが欠けてもうまく動かない
車の両輪で
無敵を誇っていた

#イニエ 51
今回の西国平定も
今までと同じく基本は正攻法
今の赤穂、上郡、和気、瀬戸と
特に困難な敵は無く順調に進攻する

目指すは異形の鬼と呼ばれる
"温羅"が治める製鉄王国
ここはイワレヒコが高島に寄った頃
女王が権力を奮っていて
今は温羅に禅譲されてる阿曽の地
最強に立ちはだかる敵だ

(書きかけ)

イニエ・知初國(はつくにしらす)物語17-46 ハニヤスヒコの反乱

第10代崇神天皇のお話で、ハニヤスヒコの反乱のパートです。フトニ(孝霊天皇)の子で、第9代開化天皇とは従弟の関係です。イニエ(五十瓊殖)の「ニ」はフトニの「ニ」と同じ。「瓊」(たま、硬玉、ヒスイ)の意味です。会話・心情は創作ですが設定・背景は事実だと考えてます。

#イニエ 17
国が広がり豊かになったのは
もちろんイニエの政治構想が基礎にはあるが
モモソ姫のカリスマ性も欠かせず
そしてさらには
オオヒコ、ヒコイマス、キビツヒコ兄弟
の血気盛んで戦略家の皇族将軍達の
力によるところも大きかった
しかし
その輪に加わろうとしない者も居た
ハニヤスヒコである

#イニエ 18
ハニヤスヒコは従弟・イニエが王を継ぐ際、反対し
兄・オオヒコを推したが却下され
そのままイニエの手駒になること無く
宮から身を引いて隠棲していた

全てを諦めたわけでなく
父・クニクルの血筋を再び王の血統とすべく
兄もしくは自身が王を継ぐ計画
つまりクーデターを画策していた

#イニエ 19
ハニヤスヒコは
イニエによるヤマト王国の支配を快く思ってない
母の里に居たアガタ姫と結婚し
共にクーデターの機を伺った
巻向宮の情報は耳に入ってくる
天候不順による不作・疫病で民が疲弊し
人心が離れつつあった今を好機と考えたが
妻アガタ姫が
いえ、今は動いてはダメです
と諫めた

#イニエ 20
人心は離れつつある
かもですが
兄上ほかの将軍たちは皆
宮の近くにいます
今動けば敵の思うつぼ
幸い、イニエはヤマト国を広げるため
近々、将軍たち全てを東北西に派遣します
その時が動く時
と、アガタ姫はハニヤスヒコを諭す
そうだな
焦って事を仕損じたら
全てを失うな
と彼は応えた

#イニエ 21
ハニヤスヒコ達が密談をしていた
その頃
得ていた情報通り
イニエは
国内の不安定事情が解消
穀物の豊作、人心の安寧が進んだので
いよいよ王国拡張のため
攻勢に打って出る方針を固めた
皇族将軍たちは
やっと活躍の出番か!
と色めき立つ
しかし
モモソ姫は何かしら
浮かない顔をしていた

#イニエ 22
モモソ姫が不安な顔で言った
王イニエよ
遠征の軍に属しない身内の者に
注意して下さい
もう一つ
遠征の軍を率いる身内の者にも
注意して下さい
王の子孫に仇なす者が出てきます
今の内その芽を摘み取って置く事が必要です

先の注意は理解できるが
後の注意はイニエはよく判らなかった

#イニエ 23
イニエは
従兄弟のオオヒコ
そしてその息子でめきめき頭角を現しだした
ヌナカワヒコ
父の代からの忠臣
ヒコイマス
キビツヒコ
に各々の希望の方角に
進軍させることとした
しかし全員が
北、東方面を希望し
西方面は誰も行きたがらなかった
くじ運悪く
キビツヒコが西に行くことになった

#イニエ 24
オオヒコは息子ヌナカワヒコと共に
伊賀・阿閉経由で
父は北陸上越方面
息子は信濃上・下野方面に進攻
ヒコイマスも息子ヒコタタスと共に
木津・山城から北の丹波方面に進攻
キビツヒコは実は兄弟で2人居て
播磨経由山陽方面に進攻
と計画が出来あがり
秋の収穫が終わる頃
進軍開始と決めた

#イニエ 25
各将軍は本格進攻の前に予備部隊を率いて
オオヒコは角鹿(敦賀)あたりを
ヌナカワヒコは美濃あたりを
ヒコイマス・ヒコタタスは乙訓あたりを
キビツヒコ兄弟は播磨あたりを
地固めと更なる進軍のための拠点とするため
早々と出発することになり
イニエ・モモソ姫と
四道将軍は宮に集った

#イニエ 26
イニエは四道将軍たちに
進攻の目的(目標地)と
勝たないまでも負けない戦
(負けそうな時はその手前で進軍STOP)をすることと
途中の定期連絡を欠かさないこと
を訓示した
モモソ姫は各将軍の戦勝祈願をし
1つだけ将軍たちに注意を促した
身内の行動には十分気を付けなさい、と

#イニエ 27
モモソ姫の儀式が終わり場は解散となり
将軍たちは出発し始めた
イニエは一人ずつ二の腕に三度触れて
行軍の無事を祈った
特にオオヒコに対しては
ひととき、じっと目を見つめて
送り出した
またモモソ姫はキビツヒコ・兄だけを呼び止め
何かを囁いた
兄は了解!
という意味で軽く頷いた

#イニエ 28
キビツヒコ・兄は宮を出てから
弟を呼び止め言った
私は後から行くので
難波津でしばらく留まっていてくれ
峠から合図があったら
それが私が討つべき相手だ
ともに行動してくれ
弟は兄がそういう理由が全く分からなかったが
なんとなく察して
了解!
と一言だけ言って出発した

※キビツヒコ・兄は実名イサセリヒコ、弟の実名はヒコサシマです。

#イニエ 29
オオヒコは
息子ヌナカヒコが奈良坂の手前で東に向かうので
そこで別れ
ヒコイマスと共に奈良坂を越えて
木津でヒコイマスとも別れ
その地に宿をとった

夜になりその宿泊地に
一人の男が訪れる
オオヒコは人目を避けるように
男を迎え入れ
静かに会話を重ねる
相手はハニヤスヒコだった

#イニエ 30
オオヒコは出発前
ハニヤスヒコからの連絡を受け
木津で密会することにしていた
ハニヤスヒコは早速本題を切り出した

兄上、王の位を
父クニクルの血筋に戻しましょう!
イニエを倒すのです
それには将軍たちが各地に散る
今が絶好機、これを逃す手はありません
と静かにしかし熱く語った

#イニエ 31
懸命に語るハニヤスヒコを前に
オオヒコは
目を瞑ったまま賛意は示さなかった
父が薨った時に王は継ぐな!
と諭したモモソ姫の目に逆らえず
今もモモソ姫に遠くから見張られてる気がするからだ
そしてこう言った
悪いが兄はこのまま関を越えて
北国へ出征する
弟よ、命を粗末にするな

#イニエ 32
説得に失敗したハニヤスヒコは
不思議と失意は無かった
兄の不賛同は予想していた
そしてより一層
王位を取り戻す気持ちを昂らせた

最初の計画通り
妻のアガタ姫を呼び寄せ
クーデターを起こす算段を建てた
一通り決まったので
アガタ姫は成功を期す歌を謡った
月明かりの無い夜だった

#イニエ 33
巻向宮ではモモソ姫が
イニエに進言していた
ハニヤスヒコは兄・オオヒコに
共闘を断られ
単独で巻向に来るでしょう
今宵は新月
恐らく翌日か翌々日には動きます
西から別動隊も来るかもしれません
イニエは応えた
ではクニフコヒコを早速北に出発させ
西はキビツヒコを迎え討たせよう

#イニエ 34
ハニヤスヒコは北から
妻のアガタ姫は西から
攻めることにし
巻向までの距離を考え
ハニヤスヒコ軍が1日早く発進した

首尾よくいけば
奈良坂を越え王都に近づく頃に
アガタ姫と合流できる
と意気揚々と進軍
が、
木津川を渡河する頃
南・奈良坂の方から
整然と向かってくる軍隊を発見した

#イニエ 35
向かってくるのは
王都護衛のクニフクヒコだった
なぜだ?
我が軍の動きを知られていたのか?
誰に?
グルグルと考え巡るが
我が軍勢も動揺し始めたので
河を引き返し
木津川右岸に待機した
クニフクヒコが左岸に到着するのを見て
ハニヤスヒコは問うた
一帯誰の命令で私の動きを塞ぐのだ?

#イニエ 36
クニフクヒコは応えた
反乱を祝う歌が聴こえたと通報があり
それで王の命令で来たのです
ハニヤスヒコは思った
…にしては動きが早すぎる
事前に動きが漏れていたか?
兄が密告したのか?
と逡巡する間もなく
クニフクヒコは大量の矢を射かけてきて
不幸にもハニヤスヒコに刺さった

#イニエ 37
急所は外れたが
ハニヤスヒコが矢を受け倒れたことで
皆が浮足立った
そこへクニフクヒコの軍勢が川岸まで押し寄せ
嵐ように矢を打ちまくる
初戦で勝敗は決し
後はハニヤスヒコ軍は狩られまくる
立て直しは不可能と悟った彼は
せめてアガタ姫は闘わず逃げて欲しいと
使いを急がせた

#イニエ 38
ハニヤスヒコはクニフクヒコに突き殺され
反乱軍も悉く殺され消滅した
アガタ姫に連絡に発った者以外は…

姫は予定通り翌朝出陣したが
夫が大敗したという連絡を告げる者は間に合わず
意気揚々と巻向へ向けて進軍した
しかし峠を越えてすぐ
一塊の軍勢が見え
そこから一斉に矢が飛んできた

その他
#イニエ 39
アガタ姫は進軍を止め叫んだ
何者だ!吾の邪魔をするのは

すると
弓箭を持った男が現れ
吾はキビツヒコ
王イニエの命でこの地で其方を待っていた
何故、巻向に向かうかは知らぬが
引き返さねばこの場で消し去るぞ

アガタ姫は顔を真っ赤にし
王族ハニヤスヒコの妻に無礼を言うな
と罵った

#イニエ 40
アガタ姫の罵りを
キビツヒコは全く関心がない風で無視し
誰かは知らんが
吾の忠告を聞かぬ者は消えろ!
と言って
脇の者の槍をとり
串刺しにせん、とばかりに突いた

アガタ姫はそれを躱し
おのれ!許さぬ!
とキビツヒコに斬りかかろうとするが
周りの者がそれを引き止め
姫を宥めた

#イニエ 41
アガタ姫の臣下の者が
体制を立て直すため一旦引きましょう
と言いかけた時
ハニヤスヒコ伝令の使者が現れた

アガタ姫はその内容を聞いて
その場に膝をつき動かなくなった
そして急に
おのれ!イニエーっ!
と叫び
キビツヒコに斬りかかった
不意を突かれて
彼は尻餅をついて倒れた

#イニエ 42
キビツヒコが倒れたのを見て
アガタ姫はすかさず刀を刺した
が、わずかに彼には届かず
ちっ、と舌打ちし更に刺そうとした瞬間
正面から大量の矢が飛んできた

姫は躱す間もなく針山のようになって
その場に崩れ落ち
北東方向に手を伸ばしたまま
息絶えた
ハニヤスヒコの反乱は潰えた

#イニエ 43
キビツヒコは
何も無かったように立ち上がり
自兵に敵残兵の殲滅を指示し
完了すると
アガタ姫に刺さった矢を一本、一本抜き
姫の手に握られた刀をとり
地面に刺した
墓標のように
そして
何も無かったように弟の待つ
難波津に向かった
少しだけ明るさを取り戻した
三日月が空を漂っていた

#イニエ 44
ハニヤスヒコの反乱は空虚に終わった
しかし
ハニヤスヒコ・アガタ姫は呪いを残したのか
イワレヒコの
フトニ-イニエの血筋は
ひ孫の世代に終了してしまう
祖先を同じくする新しい王統によって

皮肉なことに
それに加担したのは
ヒコイマスの子孫であり
キビツヒコの子孫であった

#イニエ 45
ハニヤスヒコの兄オオヒコは愛発関に居たが
巻向からの使者の伝えで反乱の終息を知った
弟よ…
と思い巡らす中
モモソ姫からの伝書もあります
と使者が言った
そこには
オオヒコ様が加勢しなかったから
無難に反乱を鎮圧できました、感謝
と書かれていて
ハニヤスヒコの遺髪も添えられてた

#イニエ 46
オオヒコは
モモソ姫が感謝の意味で伝書を書いたのか
それとも皮肉の意味で書いたのか
諮りかねたが
なんとなく後者の意のような気がした
とすれば
姫は私のことを信用してないな
と気づき
遠征が終わっても巻向に戻るのは
止めておこう
という気持ちになった

※イニエ47に続きます

イニエ・知初國(はつくにしらす)物語1-16 巻向の神々

第10代崇神天皇のお話で、宮の神々のパートです。フトニ(孝霊天皇)の子で、第9代開化天皇とは従弟の関係です。イニエ(五十瓊殖)の「ニ」はフトニの「ニ」と同じ。「瓊」(たま、硬玉、ヒスイ)の意味です。会話・心情は創作ですが設定・背景は事実だと考えてます。

#イニエ 1
翌年イニエが王に就いた
それまでの王は
就任時の式典は無かったが
イニエのそれは盛大に行なわれた
モモソ姫の入れ知恵か
イニエ自身の発案かは分からないが…
そして宮を新しく造ることになった
それは三輪山からそう遠くない
巻向の地だった
別に磯城一族に気を使ったわけでは無い

※時は西暦4世紀前半(A.D.300~)頃のお話です。

#イニエ 2
巻向の地は
イワレヒコから連綿と続く
ヤマト王国・王家の奥津城(墓地)だった
なぜここに宮を?
と皆、訝しんだが
イニエは
今までの王と対話しながら
国を治める!
と煙に巻いて造宮を進めた
果たして
一帯に
清らかな水が流れる
神聖な政治空間が出来上がった
モモソ姫も静かに喜んだ

#イニエ 3
イニエは
先王であり従弟であるオオヒヒと
同じ年だった
ということは34歳で王に就いたことになる
彼は元来
孤高で自省的で独断の強い気質だったが
年を重ねて角が取れ円熟味を増し
大王たる風格が出てきていた
オオヒコ、ヒコイマス、キビツヒコ等の
皇族将軍も
自然と帰服していった

#イニエ 4
イニエは
巫女としてのカリスマ性を持った
モモソ姫の威光も
自身の権威付けに利用した
もちろん
モモソ姫を姉として尊敬し愛していたが
ただ
イニエ自身は
神をあまり信じていなかった
先王たちへの祭祀も
自分を生み育ててくれたことへの
感謝に過ぎなかった
彼はリアリズムの塊だった

#イニエ 5
イニエは
先王の墓域である巻向に宮を造ったが
それは静謐な地で
政に精神集中するためであった
だが
造宮時、先王の御霊と語らうため…
と冗談に宮臣に言ったため
宮臣は本当に先王の御霊と語らいながら
政を進めている
と勘違いしていた
そしてイニエを
神を崇め奉る崇高な人と評価した

#イニエ 6
モモソ姫は
イニエが神をあまり信じてないことを知っていたが
宮臣が、イニエを信心深い王
と誤解していたので
2人の姉弟
神に仕える巫男・巫女として王国を統治している
という体裁を繕った
しかし
イニエが王に就いた翌年に
早くも綻びが出始めた
近畿全般が天候不順の不作に陥った

#イニエ 7
王国は天候不順による不作で
飢饉が生じ疫病が蔓延し
人心不安が蔓延った
イニエは冷静にその対策を検討していたが
モモソ姫は何処かの神の祟と直感し
神降ろしを行った
そして
二人の兄弟には直接縁がなく
最近宗家が断絶した磯城一族の
守護神・三輪オオモノヌシが原因だとわかった

#イニエ 8
モモソ姫の神託に対しては
イニエは半信半疑で
ま、そんな事もあるかも…
ぐらいの感想だったが
宮臣達は姫のおっしゃる通り!
と巻向宮全体が蜂の巣をつついたような
大騒ぎになった
中には祟りを恐れるあまり
宮から逃げ出そうとする宮臣もいた程
騒ぎを静めるため、王と姫が皆を招集した

#イニエ 9
集まった宮臣の前でイニエは言った
モモソ姫に憑いた神は
三輪山のオオモノヌシだった
その神を祀っていた磯城一族は絶えてしまい
それを悲しんで祟ったらしい

王の発言を継いでモモソ姫が言った
磯城の傍系がヤマト国の
どこかにいるはずです
探してオオモノヌシを祀っていただきましょう

#イニエ 10
モモソ姫の提案で
宮臣達は心当たりを求めて捜索に出た
そして月が一巡する頃に
和泉の地にオオタタという
磯城一族に連なる者を見つけ
巻向に連れてきた
イニエの代わりにモモソ姫は言う
今、三輪山の神を祀る者が絶えて
神がお怒りのご様子
貴方がこの地に住んで
祀ってくれませんか?

#イニエ 11
モモソ姫は少女の頃
磯城への輿入れを拒んだ経緯があるので
三輪山の神には引け目を感じており
和泉で見つけたオオタタを
熱心に勧誘した
オオタタも当代一の巫女に
懇願されて断る理由はない
磯城の名は継がなかったが
姓に三輪の名を冠して
オオモノヌシを祀る役についた

#イニエ 12
オオタタに三輪の神
オオモノヌシを祀らせる事が決まり
モモソ姫は報告と共にイニエに提案した
今、宮中はイワレヒコから受け継ぐアマテラスと
私達の母方の倭一族の神を祀ってますが
これからオオモノヌシも共に
祀ってはどうでしょう?

イニエは思案したが
ハッと目を開き姫に言った

#イニエ 13
姫の言う通り3柱の神を祀れば
宮臣は安心するだろう
しかし3柱の神が喧嘩して
なお悪い結果になるとも限らない
というか
私は神が原因で
災厄や飢饉が起きたと思いたくない
だから今いる2柱は宮から出して
各々相応しい場所で祀り
三輪の神も同じようにしたい
とイニエはモモソ姫に言った

#イニエ 14
モモソ姫は意表を突いたイニエの意見に
唖然としたが
すぐに我に返り言った
すると宮中には祀る神がいなくなりますが
それでは困りませんか?
宮臣も不安がると思います
イニエは返した
そうかも知れませんが
宮臣や国民の目を内では無く
外に向けるべきだと思います
ヤマトを拡大します

#イニエ 15
イニエは高らかに目標を宣言した
今は神の力で国を治めることより
海に囲まれた八州を平らげ
ヤマト王国を拡張すると

そして巫女として素養高い
豊鍬のイリ姫にアマテラスを
渟名城のイリ姫に倭一族の神を
宮の外の清浄な地に祀らせた
また神の不在の宮には
いずれモモソ姫を祀ると宣した

#イニエ 16
イニエが宮から神を排除したことで
宮にはモモソ姫の世話をする人達が少し残り
それ以外はほぼ武人や官僚のみとなった
目標-計画-予算配分-実行-総括
というサイクルが循環し
そのサイクルに載って武人が国を広げ
税(収穫物)を回収していく
ヤマト王国はどんどん豊かに充実していった

※イニエ17に続きます

オオヒヒ(開化天皇)のお話

第9代開化天皇のお話です。クニクルの子で、第10代崇神天皇とは従弟の関係です。オオヒヒは大日日と表わされます(動物のヒヒではありません)。
会話・心情は創作ですが設定・背景は事実だと考えてます。

#オオヒヒ 1
オオヒコの弟は王に就いた
オトという名に代えて
オオヒ(大日)にしようと思ったが
兄と似ているので
兄より上の意で
オオヒヒ(大日日)にした
宮は父の宮(堺原)をそのまま使ったが
さらに
奈良盆地北の
奈良坂の手前の率川(いざかわ)に
ハズラワケが造った拠点を
前線の仮宮とした

#オオヒヒ 2
オオヒヒは頑張る王だった
政治・外交を好み
王国拡大のための外征にも積極的だった
始めはよそよそしかった皇族将軍や宮臣も
徐々にその熱に呑まれていった
以後、爆発的に拡大したヤマト王国の
盤石な土台をオオヒヒは築いた
難波・河内・摂津・和泉・山城・伊勢・美濃
などを版図とした

#オオヒヒ 3
オオヒヒの国の経営は誠に順調だった
彼が国のために思うことは
たいてい成し遂げられた
が、ただ1つだけ
意に沿わぬことがあった
これまで続いた磯城一族の妃はおらず
その他のヤマトの古参氏族の妃を
何人か貰い受けたが
なぜか王を継ぐべき子が出来ないのだ
その事が彼を暗くした

※念の為、次の王、イニエ(崇神天皇)はオオヒヒの子ではありません。

#オオヒヒ 4
オオヒヒが王に就いたのは
19歳の時だった
それから結果的には15年ほど王を務めたが
終ぞ男の子は授からなかった
5年ほど経ったある時
神に祈ってお告げを受けるため
オオヒヒの前にモモソ姫が呼ばれた
神妙な顔をしてモモソ姫は
これから申す神を宮中の
一所に祀ってください
と告げた

#オオヒヒ 5
オオヒヒはモモソ姫のお告げ通り
イワレヒコから受け継ぐ天照大神
磯城一族が奉斎する三輪の大物主神
モモソ姫の一族神で
なぜか姫が推奨する倭大国魂神
の3神を宮中の一所に祀り
子宝に恵まれるよう祈念した
しかし
おかげで玉のような子が…
とはならず
齢だけを重ね、体は老化した

#オオヒヒ 6
オオヒヒは子が出来ないまま
30歳を過ぎた頃
原因不明の病から床に臥せてしまった
国の経営は絶好調なまま
跡を継ぐ者がいない
焦ったオオヒヒは
モモソ姫を床に呼びつけた
あなたは神を集めて奉斎すれば子ができる
と言ったではないか
モモソ姫は伏し目がちに頷いた
そしてこう答えた

#オオヒヒ 7
モモソ姫は答えた
オオヒヒ様
私は神様のお告げを申しただけです
そこから神様が王の願いを叶えるかどうかは
神様が決めることだと思います

オオヒヒは
そうか
と頷いたが心の中で
うまいこと言い逃れしやがって
と呟いた
モモソ姫はにっこり微笑んで
お体をお大事に
と言って退室した

#オオヒヒ 8
モモソ姫は
子が出来ないように
偽りのお告げを述べたり
呪詛をかけた訳では無かった
ただ願ったのは
弟・イニエが王を継ぐこと

それを神が聞いたのか
オオヒヒは病から回復することなく
34歳の頃、薨った
王国はこれから、というときのタイミングだったので
悲しみが国中を覆った

#オオヒヒ 9
オオヒヒの陵も父や叔父と同じく
前方後円の形にして
前方の祭壇で盛大に葬祭をした
御霊の鎮魂の儀を終え
モモソ姫はにこやかに
参列していた兄・オオヒコ
にそっと告げた
オオヒコ様
次の王に立候補してはなりませぬ
子孫が絶えますよ?
そう言ってモモソ姫は
軽やかにその場を去った

#オオヒヒ 10
モモソ姫が去っていくその方向に
誰かがいた
オオヒコより若い感じだが
何か得体のしれない気を感じる人物だ
始め遠目でしか見えなかったが
じっと見ていると
優しい目でオオヒコを見ていた
オオヒコはその目を見て
自分の上に立つ人物だ
と直感した
それは従弟のイニエだった

#オオヒヒ 11
葬祭の翌日
王不在の宮で
オオヒコ、ハニヤス、イニエ、モモソ姫、他宮臣が集まり
次王を誰にするかの会議が開かれた
モモソ姫は開口一番
先先王クニクルの兄フトニの子である
イニエが継ぐべきでしょう
と言い
それに多数の者が賛成した
しかしオオヒヒの弟
ハニヤスが異議を申し立てた

#オオヒヒ 12
ハニヤスは言った
私は庶子
王を継ぐ資格が無い
でも兄のオオヒコは嫡子だから
兄が王を継ぐべき

しかしオオヒコは黙して
それに賛同はしなかった
オオヒコの子は既にいるが
モモソ姫の
王の子孫は栄えない
という言葉に逆らえなかった
結果
イニエが王を継ぐことになった

※次はいよいよイニエ(崇神天皇)の出番です。

クニクル(孝元天皇)のお話

第8代孝元天皇のお話です。クニオシの子で、第9代開化天皇の父です。会話・心情は創作ですが設定・背景は事実だと考えてます。


#クニクル 1
フトニの弟の名は、クニクル
父はクニオシなので
磯城一族の母、細(クワシ)姫が
名付けたのだろう
クニクルはフトニとは母が違うので
別々の地で育ち
大人になって次王の候補になるまでは
会うことが無かった
初めて会ったときは
王として眩しすぎて
兄とは思えなかった
憧れた

#クニクル 2
クニクルは母に溺愛されて育ったので
進取果敢な性質に欠けていた
おっとり、のんびり、ゆるーく生きたい性格だったので
王の仕事にはあまり興味がなかった
とは言え
何もしないわけには行かないので
兄の死後
宮を
安定と平和に満たされた
イワレヒコの白橿宮に近い
軽境原に造った

※先王は前衛的に北に宮を構えましたが、孝元天皇はまた南に戻して宮を構えました。

#クニクル 3
クニクルは実は兄が長期政権だったので
王に就いたのは30歳の年だった
妃は18歳の時にもらったので
後に四道将軍となるオオヒコや
後の王オト(オオヒヒ)が立派に育っていた
ただし妃は
母の細姫の代で磯城の直系男子は途絶えたので
磯城に代わって発言権を増した
穂積一族から受け入れた

※穂積一族は物部氏族と血統的に同族です。イワレヒコの勝利に貢献したウマシマジの子孫です。

#クニクル 4
クニクルは安全な宮に居て
外征や国内巡視はあまりしなかったので
戦争や外交は
吉備津彦や彦坐命の父たちに任せきりだった
王を裏切る訳では無いが
自分たちの領地的なものを造って
そこを拠点に着実に王国を広げていった
先王フトニへの忠誠は厚かったが
クニクルへの忠誠心は少なかった

※おさらいの意味で
カエシネ(孝安天皇)-イズキヒコ-イササワケ-吉備津彦命
カエシネ(孝安天皇)-イズキヒコ-ハズラワケ-彦坐命

#クニクル 5
クニクルは王に就いて7年ほど後
さらに妃を迎えた
イササワケが先年服従させた
河内の豪族の娘だった
一族や河内の民に慕われ
その地の神を祀る巫女的な女だった
その人の間に生まれた子は
ハニヤスと言った
愛にいきるクニクルは
先の妃の子も可愛かったが
ハニヤスもとても溺愛した

ハニヤスヒコは後のイニエの時代にとんでもない出来事を起こします。

#クニクル 6
クニクルは母が磯城一族だけあって
三輪の神が好きだった
時間があれば三輪山に登っていた
しかしクニクルの妃や息子は
磯城とは関係なく
それらの人々は三輪の神に関心がなかった
ヤマト国自体は
どんどん大きく成長していく時期で
好景気だったので
だんだん三輪の神は忘れられていった

※神と王と巫女、これからヤマト国に暗い影を落とすことになります。

#クニクル 7
クニクルは30歳で即位して
14年ほど王を務めたが
この頃の寿命で43歳で薨った
その時、下のハニヤスはまだ小さかったが
上のオオヒコ、オトは十分王になれる年齢だった
しかしオオヒコは頭を使うより
外征で力を発揮したいタイプ
どちらが王になっても良いかな
とクニクルは思っていた

#クニクル 8
クニクルの陵は
円墳に四角い祭壇が付いたものだった
そう、先王フトニと同じ形のもの
フトニの陵・葬祭を見て感激して
自分の時も同じにして欲しい
と宮臣に頼んでおいた
息子たちも自分の陵・葬祭を見て
同じものを造りたい
と思うことも期待して…
オオヒコもオトもじっと見ていた

※クニクルも同じ形の前方後円墳に葬られてると考えてます

#クニクル 9
クニクルが薨と次の王は…
と宮臣は噂し合った
順当には長男オオヒコであったが
葬祭の場で
オオヒコの傍に立ちそっと呟く人がいた
貴方は王になると
磯城にかかる呪いで
子はできず
跡を継ぐ者がいなくなります
弟に王を譲りなさいませ
それで王家は安泰です、と
それはモモソ姫だった

#クニクル 10
兄オオヒコはモモソ姫の話に
半信半疑だったが
磯城の血云々はそうかも?と思った
では弟が継げば問題ないか?
という最後の疑問は残ったが
そこはなぜかモモソ姫の
目と笑顔を信じてしまった
結果
兄オオヒコは王を継がず
弟オトに
お前が王に相応しいと説得し
王の継承に決着をつけた

※オオヒヒ(開化天皇)の話に続きます

フトニ(孝霊天皇)のお話

第7代孝霊天皇のお話です。クニオシの子で、第10代イニエ(崇神天皇)の父です。記紀の記述と違いでしょう?これが真実の歴史です。会話・心情は創作ですが設定・背景は事実だと考えてます。

#フトニ 1
フトニはクニオシの子、長男
磯城の妃から生まれた子ではないが
父から愛され
才気煥発な若者に育った
もう少し待てば
誰からも王と認められる器量を発揮するはずが
突然の父の死で
フトニが20歳の時
王に推挙された
いや、心の準備が…
と言う間もなく
合戦に連れ出され
王の仕事が始まった

#フトニ 2
フトニを連れ出したのは
イササワケ、ハズラワケの2人の大将
どちらも戦好きの武人だった
もちろん2人のおかげで
ヤマト国は
ほぼ奈良盆地を手中にしたが
フトニは今ひとつ気が合わなかった
粗野なのである
彼は気品というものを大事にした
なので
適当に褒め称えて
前線は彼らに任せた

#フトニ 3
フトニが王になる頃は
奈良盆地をほぼ手中に収めたので
宮を
思い切って
白橿原から北の方の
黒田に廬戸(いおと)宮を造った
ここからなら西に、北に、東に
交流の道を広げやすい
かつてイワレヒコが難波の海から
やって来て撃退された道も
自分の支配下になる
フトニは少し誇らしかった

#フトニ 4
フトニが王になる時
やはり慣例通り磯城一族から妃を…
とはならず
かねてから意中だった女子を迎え入れた
それは
イワレヒコを導いた珍彦の子孫
それは倭(やまと)家のクニカ姫だった
クニカ姫は珍彦のように
物怖じしない捌けた女性で
フトニはその
クールな雰囲気に惚れてしまった

#フトニ 5
フトニとクニカ姫は
熱烈に子供がほしい訳ではなかったので
しばらくは二人の恋を楽しんでいた
一緒に国を見回りもした
夫婦となって7年位で
そろそろ男の子でも作ろうかぁー
と頑張ってみたら
見目麗しい女の子が生まれた
二人はその子をモモソ姫と名付けた
彼女は早速巫女の才を発揮した

#フトニ 6
フトニの娘、モモソ姫は
7歳くらいの頃突然王に告げた
三輪山の神が
私に磯城一族の男と夫婦になりなさい
と言われたが私は
磯城の男は潰えます
私が夫にできる男はいません
と神に返答した

また明くる年に私に弟が出来ます
とも言った
フトニはそれを聞いて
半信半疑で子作りに励んだ

※モモソ(百襲)姫は、後に弟イニエ(崇神天皇)の巫女として活躍します。

#フトニ 7
翌年モモソ姫のお告げ通り
男子が生まれた
泣き声をあげなかったので
逆さにして尻を叩くと
ヒャヒャヒャと笑いだした
モモソ姫も弟を見て何かを感じるらしく
じっと見つめてニンマリしてる
フトニは
何か普通の子とは違う
と少し気味悪くなり
母ヤマト姫の里に置いて
存在を忘れてしまった

#フトニ 8
フトニには母違いの弟がいた
磯城一族の後押しもあるだろうし
いずれその弟が王を継ぐだろう
もしかしたら弟の子が
その次の王になり
我が子には廻ってこないかも
気味が悪くても
我が子には王になって欲しい
そう思うと
イササワケやハズラワケを
味方につけて置かなければ
と心を改めた

#フトニ 9
フトニは20年ほど王を務めたが
娘のモモソ姫が生まれたのが8年目くらい
息子のイニエが生まれたのが15年目くらい
その後は自分の余生があまり長くないことを悟り
少しばかり国を広げ
大いに内政に励んだ
実りの多い良い時代を迎え
40歳になる頃に病を冒し
死を迎える床に就いた

#フトニ 10
フトニは息を引き取る直前
葛城山が見える処に葬って欲しい
とクニカ姫、モモソ姫に告げた
両者は
はい、と答えた
陵は希望の場所に造られることになったが
モモソ姫は母や宮臣に提案した
王を安置する円墳に接するように
祭壇となる四角い山を造りましょう
そして王を末永く祀りましょうと

#フトニ 11
フトニの殯の儀式は盛大に行われた
次に王となる弟は
陵の形と大きさ
今までにない葬礼の豪華さに心奪われていた
きっと同じような事をするのだろう
息子のイニエはじっと
父が眠ってるであろう
墳丘の頂上を見ていた
そしてニマッっと笑った
父を越えてやるぞ!
と言わんばかりに

※イササワケは吉備津彦の親、ハズラワケは彦坐命の親で、フトニの子は吉備津彦、彦坐命の活躍で大ヤマト王国と築きます。
 カエシネ(孝安天皇)-イズキヒコ-イササワケ-吉備津彦命
 カエシネ(孝安天皇)-イズキヒコ-ハズラワケ-彦坐(ヒコイマス)命。
※フトニ(孝霊天皇)の陵は前方後円墳の始まりだったのではないかと思ってます。また現在治定されてる処とは別の処にあると思います。
 (それがどこかは特定できてませんが)

次王の話に続きます。