sohramame’s 「吉備の古代を想う」吉備氏・尾張氏

岡山(吉備)の古代史についてですが、上古代日本史全般についても書いてます

Twitterで 神武天皇~孝霊天皇(~崇神天皇)のお話を呟いてます

Twitterで毎日140字で、原ヤマト王国の王(神武~崇神)のお話を呟いてます。
宝賀先生の古代史論をベースに、少し脚色を加えて物語風に作文してます。
記紀とは違う内容もありますが、これが真実の歴史だ!と思っています。
良ければ読んでみてください。

https://twitter.com/kmichi13/moments

クニクル(孝元天皇)のお話

第8代孝元天皇のお話です。クニオシの子で、第9代開化天皇の父です。会話・心情は創作ですが設定・背景は事実だと考えてます。


#クニクル 1
フトニの弟の名は、クニクル
父はクニオシなので
磯城一族の母、細(クワシ)姫が
名付けたのだろう
クニクルはフトニとは母が違うので
別々の地で育ち
大人になって次王の候補になるまでは
会うことが無かった
初めて会ったときは
王として眩しすぎて
兄とは思えなかった
憧れた

#クニクル 2
クニクルは母に溺愛されて育ったので
進取果敢な性質に欠けていた
おっとり、のんびり、ゆるーく生きたい性格だったので
王の仕事にはあまり興味がなかった
とは言え
何もしないわけには行かないので
兄の死後
宮を
安定と平和に満たされた
イワレヒコの白橿宮に近い
軽境原に造った

※先王は前衛的に北に宮を構えましたが、孝元天皇はまた南に戻して宮を構えました。

(書きかけ)

フトニ(孝霊天皇)のお話

第7代孝霊天皇のお話です。クニオシの子で、第10代イニエ(崇神天皇)の父です。記紀の記述と違いでしょう?これが真実の歴史です。会話・心情は創作ですが設定・背景は事実だと考えてます。

#フトニ 1
フトニはクニオシの子、長男
磯城の妃から生まれた子ではないが
父から愛され
才気煥発な若者に育った
もう少し待てば
誰からも王と認められる器量を発揮するはずが
突然の父の死で
フトニが20歳の時
王に推挙された
いや、心の準備が…
と言う間もなく
合戦に連れ出され
王の仕事が始まった

#フトニ 2
フトニを連れ出したのは
イササワケ、ハズラワケの2人の大将
どちらも戦好きの武人だった
もちろん2人のおかげで
ヤマト国は
ほぼ奈良盆地を手中にしたが
フトニは今ひとつ気が合わなかった
粗野なのである
彼は気品というものを大事にした
なので
適当に褒め称えて
前線は彼らに任せた

#フトニ 3
フトニが王になる頃は
奈良盆地をほぼ手中に収めたので
宮を
思い切って
白橿原から北の方の
黒田に廬戸(いおと)宮を造った
ここからなら西に、北に、東に
交流の道を広げやすい
かつてイワレヒコが難波の海から
やって来て撃退された道も
自分の支配下になる
フトニは少し誇らしかった

#フトニ 4
フトニが王になる時
やはり慣例通り磯城一族から妃を…
とはならず
かねてから意中だった女子を迎え入れた
それは
イワレヒコを導いた珍彦の子孫
それは倭(やまと)家のクニカ姫だった
クニカ姫は珍彦のように
物怖じしない捌けた女性で
フトニはその
クールな雰囲気に惚れてしまった

#フトニ 5
フトニとクニカ姫は
熱烈に子供がほしい訳ではなかったので
しばらくは二人の恋を楽しんでいた
一緒に国を見回りもした
夫婦となって7年位で
そろそろ男の子でも作ろうかぁー
と頑張ってみたら
見目麗しい女の子が生まれた
二人はその子をモモソ姫と名付けた
彼女は早速巫女の才を発揮した

#フトニ 6
フトニの娘、モモソ姫は
7歳くらいの頃突然王に告げた
三輪山の神が
私に磯城一族の男と夫婦になりなさい
と言われたが私は
磯城の男は潰えます
私が夫にできる男はいません
と神に返答した

また明くる年に私に弟が出来ます
とも言った
フトニはそれを聞いて
半信半疑で子作りに励んだ

※モモソ(百襲)姫は、後に弟イニエ(崇神天皇)の巫女として活躍します。

#フトニ 7
翌年モモソ姫のお告げ通り
男子が生まれた
泣き声をあげなかったので
逆さにして尻を叩くと
ヒャヒャヒャと笑いだした
モモソ姫も弟を見て何かを感じるらしく
じっと見つめてニンマリしてる
フトニは
何か普通の子とは違う
と少し気味悪くなり
母ヤマト姫の里に置いて
存在を忘れてしまった

#フトニ 8
フトニには母違いの弟がいた
磯城一族の後押しもあるだろうし
いずれその弟が王を継ぐだろう
もしかしたら弟の子が
その次の王になり
我が子には廻ってこないかも
気味が悪くても
我が子には王になって欲しい
そう思うと
イササワケやハズラワケを
味方につけて置かなければ
と心を改めた

#フトニ 9
フトニは20年ほど王を務めたが
娘のモモソ姫が生まれたのが8年目くらい
息子のイニエが生まれたのが15年目くらい
その後は自分の余生があまり長くないことを悟り
少しばかり国を広げ
大いに内政に励んだ
実りの多い良い時代を迎え
40歳になる頃に病を冒し
死を迎える床に就いた

#フトニ 10
フトニは息を引き取る直前
葛城山が見える処に葬って欲しい
とクニカ姫、モモソ姫に告げた
両者は
はい、と答えた
陵は希望の場所に造られることになったが
モモソ姫は母や宮臣に提案した
王を安置する円墳に接するように
祭壇となる四角い山を造りましょう
そして王を末永く祀りましょうと

#フトニ 11
フトニの殯の儀式は盛大に行われた
次に王となる弟は
陵の形と大きさ
今までにない葬礼の豪華さに心奪われていた
きっと同じような事をするのだろう
息子のイニエはじっと
父が眠ってるであろう
墳丘の頂上を見ていた
そしてニマッっと笑った
父を越えてやるぞ!
と言わんばかりに

※イササワケは吉備津彦の親、ハズラワケは彦坐命の親で、フトニの子は吉備津彦、彦坐命の活躍で大ヤマト王国と築きます。
 カエシネ(孝安天皇)-イズキヒコ-イササワケ-吉備津彦命
 カエシネ(孝安天皇)-イズキヒコ-ハズラワケ-彦坐(ヒコイマス)命。
※フトニ(孝霊天皇)の陵は前方後円墳の始まりだったのではないかと思ってます。また現在治定されてる処とは別の処にあると思います。
 (それがどこかは特定できてませんが)

次王の話に続きます。

クニオシ(孝昭天皇)のお話

@kmichi13 2018年9月22日
第6代孝昭天皇のお話です。スキトモの子で、大人になるまでカエシネが代行の王を務め、成人後王になった人です。記紀の記述と比べて、孝安天皇孝昭天皇の順序、和風諡号は入れ替わってます。会話・心情は創作ですが設定・背景は事実だと考えてます。

#クニオシ 1
クニオシは父スキトモの顔を知らない
というか記憶にない
病気やけがで死なないよう
母、太真若姫に大切に育てられた
おかげで健康に大人になれたが
父を知らずに、王になれ!と言われても
ピンとこないものがあった
カエシネがずっと
王を続けてくれてもよかったのに
とも思った

#クニオシ 2
そうは言っても王になった以上
宮臣は色々求めてくる
判断したり命令したりするのは苦手では無いが
外に出て外交や戦や交渉するには
経験が足りなかった
しかし
そこはカエシネの子・孫たちが補佐してくれる
2年もするとクニオシは
政治を彼らに殆ど任せるようになり
自身は宮に籠った

#クニオシ 3
クニオシは宮を
カエシネの秋津島宮の近く
葛城掖上に造った
むろん宮臣が勤めやすいの第一だが
母の里三輪山にも行きやすいとこだった
先王が国を固めたので
カエシネの子たちは
奈良盆地の北半分を征服すべく
徐々に北への侵攻を強めた
クニオシは
頼もしいことだ
とそれを見ていた

#クニオシ 4
先王カエシネの子・イズキヒコは
北への進軍の隊長だ
クニオシ様、たまには進軍の視察をしませんか?
と誘っても出たがらない
怖いのだ
だが宮の近く西の葛城の方には
よく出かける
どこに行ってる?
と宮臣が後をついていくと
美しい女性が出迎え館の中に消えた
ヨソ姫という人の家だった

#クニオシ 5
クニオシは王になると同時に
これまでと同様
磯城一族から妃をあてがわれた
名を細姫(クワシヒメ)という
しかしクニオシは王となる以前から
葛城の尾張一族の女
ヨソ姫と偶然出会い恋に落ち
子を設けていた
事実を知り仕方なく
磯城の棟梁・太真若彦は
ヨソ姫を妃として宮に迎え入れた

#クニオシ 6
クニオシはヨソ姫との間に男子を
細姫との間にも男子を儲けた
当然ヨソ姫との子が年上なので
先に王になる資格がある
磯城一族の女から生まれていない
初の王になるかも
太真若彦は
それでいいのか?と自問した
いっそ、その子を暗殺しようか?
その時オキツヨソという
ヨソ姫の兄が現れた

#クニオシ 7
オキツヨソは太真若彦に言った
磯城さんばかりズルいじゃないですか
イワレヒコの血をがっつり取り込んで
吾達の先祖タカクラジ(高倉下)も
イワレヒコに貢献してるんですよ
ここらで吾達の血も混ぜてくださいな
真相を突かれて太真若彦は
ぐぬぬ、と何も言えなかった

#クニオシ 8
まぁ次の王は
長男だしヨソ姫の子が継いで
その次に細(クワシ)姫の子が継いでくれればよいか
と太真若彦は呟く
あまり磯城一族独占に
拘らない方がいいな
と一人合点して
オキツヨソの言に従うことにした
そのことをクニオシ王に告げると
彼は大変喜んで
長男に英才教育を施した

#クニオシ 9
クニオシの長男は
心身共にすくすく育ったが
1つ気がかりなことがあった
宮の西の葛城山には喜んで出かけるが
東の三輪山には行こうとしない
行くのを怖がっている
三輪の神が恐ろしいらしい
これは王になったときに
問題の種にならなければ良いが
とクニオシは憂いた

#クニオシ 10
クニオシは25歳で王となり
健康に長期政権を築くかと思われたが
元々あまり丈夫でなかったようだ
9年ほど王を務めて
34歳で薨った
重臣だった先王カエシネの子たちも
同じ頃に亡くなり
宮の顔ぶれが一気に刷新されることになった
磯城一族の推挙もあり
長男のフトニが王に就いた

次王の話に続きます

カエシネ(孝安天皇)のお話

第5代孝安天皇のお話です。(間違いではありません)
スキトモの子が幼少のため代行で磯城一族から王になった人です。代行と言っても後世には直系の王にされてますが…記紀の記述と比べて、孝安天皇孝昭天皇の順序、和風諡号は入れ替わってます。
会話・心情は創作ですが設定・背景は事実だと考えてます。

#カエシネ 1
イワレヒコ×磯城の女の血を絶やしたくない
という磯城一族の執念により
太真若彦、長姫両社の弟、カエシネは
王の代行をすることになった
尊称としてミマツヒコと名付けられた
かつてイワレヒコを苦しめた長脛彦は
実の尊称がミマツヒコ
その名は磯城一族の名誉ある名前だった

#カエシネ 2
カエシネは王の地位に
さして興味は無かったが
経営の才はあった
まずは白橿原宮から離れた
葛城山の麓、秋津島に宮を設けた
秋津島は難波に出る道
紀(伊)に出る道
が交わる交通の要所であり
そしてイワレヒコのように
紀(伊)から来る賊を撃退する守りの拠点だった
人の往来が盛んになった

#カエシネ 3
この頃
北の生駒・奈良あたりは
まだ原ヤマト国の版図には入ってない
奈良盆地の南半分をしっかりと押さえ
東に宇陀、さらに伊勢
北西に難波
南西に紀伊
との交流を盛んにして国の充実を図り
次代以降に奈良盆地北半分を手中に収める
という青写真を
カエシネは頭に描いていた

#カエシネ 4
カエシネは王に就く直前
先王スキトモの兄オキシミミの娘
天豊津姫を妃に迎えた
自身はイワレヒコの男系の血は流れてないが
姫は男系の血が流れている
代行とはいえ王を継ぐ事に
宮臣の了解を得やすくする為であった
姫の気位は高かったが
カエシネは直ぐに見込まれ
夫婦仲は良好だった

#カエシネ 5
二人の間には3人の子があった
イズキヒコ、タケタツミ、ワチツミ
イズキヒコからは後の
彦坐命、吉備津彦命、八綱田命(毛野君祖)
という有名氏族が出る
カエシネは在位中は代行の王という
立場を崩さなかったが
後世になると普通に「王」であったとされ
彼ら子孫は皇族将軍と呼ばれた

#カエシネ 6
皇族将軍(四道将軍)は後の崇神天皇の頃の
ヤマト王国の爆発的な版図の拡大に
大いに貢献した
しかし急激に大きくなりすぎた王国は
かえって
イワレヒコの子孫の王権を弱くする
原因にもなっていった
カエシネ本人には何の落ち度もないが
そういう根っこを
生じさせた(代行の)王だった

#カエシネ 7
カエシネは
18の歳で(代行の)王に就き20年経った時
先王スキトモの子も20歳になり
大人になったので
宮臣たちは譲位を勧めた
しかしカエシネは
あと5年王を務めさせてくれ
と懇願した
自身の構想が形になるまでまって欲しいと
言った
決して権力に執着した訳では無かった

#カエシネ 8
さらに5年が過ぎ
カエシネは
経済政策など自分の構想がほぼ実現できたので
25歳になった先王の子に王位を譲った
25年間王として自分が目指した事
次なる王に継いでほしい事
カエシネの息子が親王の補佐に就く事
などを引き継いで
静かに宮を去った
次なる王はクニオシ
という名だった

次王へ続きます。

スキトモ(懿徳天皇)のお話

第4代懿徳天皇のお話です。イワレヒコの孫ですが、父親はxxxなのです。会話・心情は創作ですが設定・背景は事実だと考えてます。
ちなみに懿徳=美徳の意です。

#スキトモ 1
兄オキソミミは政治に、王になることに
全く関心を示さなかった
イワレヒコ王国では
磯城の妃から生まれた長男は
不思議と王位を継がず
宮中で大成したものは出ていない
オキソミミはそのことに不安を感じ
タマテミが薨った時
日頃から政治に興味を示す
弟スキトモに王を継ぐことを勧めた

#スキトモ 2
というのは大間違いで
実際はスキトモの方が年上で
オキソミミは長子であるが兄では無かった
どういうことか?
スキトモは
アクト姫がタマテミの妃となる前
ヌカワミミとの間に生まれた子であった
タマテミには伏せられていたが
薨ると同時に磯城一族が
スキトモが王位継承者だと主張した

#スキトモ 3
もう長老の磯城の棟梁・黒速が
イスズ姫の後継を絶やしてはならぬ
とばかり王の跡継ぎに口を出したのだ
イスズヨリ姫の孫のオキシミミは
何でだ!と不満たらたらだったが
一族棟梁の言うことに逆らう気はなかった
反乱も起きずスキトモが王に就き
白橿の宮の近くに
軽之境岡の宮を設けた

#スキトモ 4
スキトモはオキシミミを嫌いでは無かった
ずっと一緒に遊んでたから
(異父弟でなく)実の兄弟のように思っていた
だが長老には従わねばならない
スキトモはオキシミミの上に立ったが
第一の家臣として
国の舵取りについて色々と
オキシミミに相談して国を治めた
安らかな時代であった

#スキトモ 5
スキトモは
磯城一族の長老・黒速の子で
現棟梁の葉江(ヌカワミミ・タマテミ世代)
さらにその子の若棟梁・太眞若の妹の長姫(太眞若姫)を
棟梁・葉江の指令で
妃として迎えた
スキトモは至って健康であり
長姫も丈夫な女性であって
すぐに玉のような子が出来る
と周りは期待していた

#スキトモ 6
しかし何年経っても玉のような子は産まれない
スキトモは長姫に
どうすれば子を授かるだろうか?
と問うた
長姫は遠慮しながらも
私たち一族が崇める三輪の神を
王が崇める天照大神のそばに
侍らせれば
二人の子ができるのではないでしょうか?
と答えた
そうかも
とスキトモは応えた

#スキトモ 7
天照大神と三輪の神を共に迎えて
スキトモの妃・長姫は
初の男児を授かった
王の喜びはひとしほだったが
それは王になってから20年後の事であった
安定の時代だったが長すぎた
男児が生まれて入れ替わるように
王は病になり
死の床に就きそのまま永眠してしまった
磯城一族は大混乱だ

#スキトモ 8
スキトモの男児は生まれたばかり
形式上兄のオキシミミには女児のみで
男児はいなく
王を継ぐ者が不在の状況
磯城一族の3代目棟梁・太真若彦は困ったが
宮臣を集めて会議すれば
意外な人物が推される危険もある
ここは
王の遺言で次の者を決めた
という体裁にしなければ…

#スキトモ 9
困っている太真若彦に妹・長姫(太真若姫)は
私がお助けしましょう、という風で言った
我が子が成人し王に就くまで
私達の弟・タギシヒコに王の仕事を
してもらいましょう
いえ、イワレヒコの男系子孫では無くても
私達の母がイワレヒコの血を継いでますから
決して変ではありません

#スキトモ 10
太真若彦は妹・長姫の提案に
それなら宮臣も賛成するかもな
と妙に納得して受け入れた
宮臣を集め
先王の和子が成人して王になるまでの間だけ
という条件で賛同してもらった
5代目にして初の
イワレヒコ男子直系で無い
かりそめの王が誕生した
諱をとって
ミマツヒコカエシネと呼ばれた

※漢風諡号で言えば、第4代懿徳天皇-第5代孝安天皇-第6代孝昭天皇記紀とは順序が入れ替わってますが、これが正しいのです。

タマテミ(安寧天皇)のお話

第3代安寧天皇のお話です。イワレヒコの子であり、ヌカワミミ(綏靖天皇)の異母弟です。会話・心情は創作ですが設定・背景は事実だと考えてます。

#タマテミ 1
母イスズヨリ姫は姉のイスズ姫と
ほぼ同時にイワレヒコの妃となり
ほぼ同時に懐妊した
なのでタマテミは
ヌカワミミが薨れた年齢と
ほぼ同じ年齢で王に即位した(24歳頃)
即位前は
母に夢中だったヌカワミミと
仲良く一緒に遊ぶこと無く
年上の部下と共に
狩りや異族平定を楽しんでいた

#タマテミ 2
磯城津彦という尊称が付いている通り
タマテミは当初、磯城一族の宗主になるはずだったが
ヌカワミミが若くして薨ったため
そのままの名で王に就いた
しかし政治、財政、警備などの
帝王学は中途半端なままであり
国を治めるよりは
出かけて周辺の蛮族を平定する方が
好きで得意であった

#タマテミ 3
タマテミが王になった時
王国の版図は北西に少し広がったので
イワレヒコの白橿原宮より北西の
片塩の地に新たに宮を造った
そしてそこに
ヌカワミミと恋人のような関係だった
ヌカワミミの妹を妃として迎えた
諱はヌナソヒメ、妃としてはアクト姫と呼ばれた
やがて2人の子供が出来た

#タマテミ 4
タマテミとアクト姫との子は
兄がイロネ、弟がスキトモと名付けられた
兄は成人してオキソミミという尊称をもらったが
なぜか王を継がず
弟がスキトモノミコトの名で王に就いた
タマテミは10年ほど国を治め
34歳で薨った
王国は発展はしなかったが
穏やかな気候で収穫が増え国力は増した

短いですが終わりです。第4代懿徳天皇のお話へ続きます。